フォルテが二つ(ff)あればフォルテシモ、三つあれば(fff)フォルテッシシモ。
曲によっては、4つついたり、場合によっては6つついたりしますが、音量記号としての f, p っていくつまで意味があるものでしょうか。
私は昔から、こういった表現記号のインフレーション状態があまり好きではなく、過剰に楽譜に言葉を書き込んだり、f, p をたくさん重ねて書いたりしないようにしてきましたが、その一方、そういう表現の過剰さにこそ、作曲家の個性を発揮されている人もいます。
だいたい本来、「強く」と「弱く」を二つ表現するために、フォルテ、ピアノが生まれ、その中間を埋めるために mf, mp があるのですから、そういう経緯からいうと私的には、フォルテシモ、ピアノシモが(要するに二つまで)が意味ある表現の限界だと思っています。(と言いながら、fff, ppp も書いたことがあるけど)
��つ以上になると、もはや気持ちの問題。だから、三つなら、とんでもなく「強く」あるいは「弱く」と言えるわけですが、4つになると正直首をかしげますねえ。こういう表記があるだけで、mf, mp の差なんかどうでもいいじゃんと思えてしまいます。
だから、フォルテ、ピアノをたくさん重ねて使う場合、よほど作曲側は抑制しなければならないと私は思います。そうでないと、結果的に音楽全体をぞんざいに扱われかねないからです。逆に、演奏側としては、作曲者がどういった基準で音量記号を書いているか気にするだけでも、作曲側の気持ちが透けて見えてくるのではないでしょうか。
お久しぶりです。
返信削除自作のお遊び室内楽で(ピアノトリオ)で
"forte, possibile quanto voi possa (as possible as you can)"
"diminuendo al ff"
という、大変非常識な強弱指定を行ったことがあります(爆)。
特に、"diminuendo al ff"
は「ff『まで』次第に弱く」という指定です。ある意味で"ffff"などよりももっと非常識、という感じがします(^^;)。
炎之Continuoさん、久しぶり。
返信削除>「ff『まで』次第に弱く」という指定です。ある意味で"ffff"などよりももっと非常識、という感じがします(^^;)。
うーん、まあ本人が非常識といってるんだし・・・確信犯的でそれもまた一興かも。そのときの演奏家の反応を楽しむ、というのもアリですね。
こうなったらどんどん面白い表情記号を開発してください!