普通クラシックの世界で歌をやっているといえば、オペラのアリアや歌曲などをソロで歌うような活動でしょう。妻もそういう世界に片足を突っ込んでいるわけですが、実際、こういう世界にはいろいろ怪しい人たちが多いのです。声楽といえばイタリアオペラ、というような方々は世の中にたくさんいるらしく、またそれを指導する人たちもそういった価値観の中にどっぷり浸かっています。
そういう人たちの中には、合唱を毛嫌いしたり、一段低いものと捉える方々も多いらしい。もちろん、一般的には合唱団にソリスト級の人たちはそれほどいないでしょうし、どちらかというとアマチュア音楽的な世界ではあります。それでも、音楽をするために必要なアンサンブル力というのは合唱では求められます。
ソリスト的な歌いまわしとアンサンブル重視の歌いまわしはもちろん両立しないわけではありませんが、本質的な意味において相反する関係であるのかもしれません。
つまり、ソリストにとって自分自身の存在感を示すことは何より大事なことであり、そのため伴奏から意図的にはみ出たりすることはむしろ演奏者の色を出すことに繋がります。印象という点でいえば、単純に高音が出せたり、音量が大きかったりという要素も重要でしょう。そこまでいかなくとも、若干のビブラートとか、一音符内での音量操作などもソリスティックな歌いまわしには欠かせません。
逆に合唱団の中では、音量や音質に統制を取る必要が出てきます。アンサンブルというのは一種の規制であり、制約を課せられたゲームのようなものです。本来はその制約の中でいかにドラマを作っていくのか、というのが音楽の中で大事な要素なのですが、アマチュア合唱の場合、制約を守らせるのに精一杯な現実があります。
ところが、それがソリストの世界から見ると、ただの規制をはめられた音楽というように見えてしまっているのではないかと思うのです。
どんな音楽活動であれ、アンサンブルの楽しさを知らないことは大変残念なことに思います。しかし声楽家と呼ばれている人たちには、意外とこのアンサンブル能力が低い人が多いように感じます。それは、あたかも合唱に対するアンチテーゼのようです。
私が所属しているアンサンブルグループのムジカチェレステの忘年会でこんな話をしたのですが、ソロ活動もしている人たちは、ソロの人たちにももっとアンサンブルの楽しさを知って欲しい、と言ってました。本当にそのとおりなのだけど、なかなか振り向いてはくれないようです。
逆に、私にはもっとソリスティックな歌の能力を求められていて、頑張ります、というしかない状態なのでした。
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