2012年2月11日土曜日
創作家が成長するということ
ほとんどの人にとって、創作家・芸術家とは自分とは無縁のすごい人々のことで、何か人間的にもずば抜けた知性と判断力を兼ね備えているなどと考えているようです。
だから、ある創作家がその人生の中で作風を変えていっても、そこには常人の及ばない思考の果てに起きたことのように感じるのかもしれません。
しかし、創作家とて人間であり、特殊な技能に若いうちに習熟しただけだと考えれば、驚くほど普通の人と変わらないのではと私は感じています。
実際、創作家にとっての人生の転機は普通の人の人生の転機とそう変わらないと思うのです。大事な人との死別とか、住む環境の変化などはもちろんのこと、仕事をやめたとか、子供が生まれたとか、子供がグレたとか、組織で昇進したとか、表彰されたとか、奥さんと喧嘩したとか、若い子に手を出してバレたとか、全然モテないくせに好きな人にふられたとか、お気に入りの家具を買ったとか、友人に裏切られたとか、侮辱を受けたとか、そんなものです。
創作家は、自分の人生の中でも少しずつ作風が変わっていくものです。
そしてそれは普通の人の人生の流れとそう変わるものでもありません。例えば若い頃は理想主義的です。感受性が高いので感情の高ぶりも強く、たわいもないことを大きく感じてしまう傾向があるものです。また、自尊心も強いので、他人の想いや世間の要求よりも自分の想いや夢が前面に出てきます。
若い世代をちょっと過ぎると、少し世の中が分かってきます。理想だけでは世の中は動かない。現実的な方法や生き方が必要になります。自らの作品を広めたいと思うなら、誰でも世の中はどのような作品を求めているのか考えるようになります。自分のやることを客観的に分析するような態度は、無闇に自分を表現したいという若い頃の衝動とはちょっと異なるはずです。
さらに歳を取ると、世の中を回す世代に入ります。どのような専門を持っていても社会・経済の仕組みと無縁ではなくなります。場合によっては、現実的な政治的メッセージを発信する場合もあるかもしれません。
老年期に入るとどうでしょうか。私はまだそういう境地は分からないのですが、ある種の達観と諦念を持った緩やかな作品が多くなるように思います。
人によっては上記のような区切りが、その人の生き方によって前目になったり後ろ目になったりはしますが、まあだいたいこんな感じになるものではないでしょうか。
また、若い頃にブレークしてしまった人は、中年的な創作態度への移行がうまくいかないことが多くなり、歳をとっても若作りな態度を要求され、自滅していく人も多いと感じます。むしろ、中年以降に有名になる創作家は息が長い活動が出来そうです。
どの世代の創作物が素晴らしいという問題ではありません。
一般的に創作家の作風が変わっていくことは、創作家が成長している、というように思われるかもしれませんが、必ずしもそうとは言えないと思うのです。
若い頃しか持ち得ない感性が作り出したものは、それだけで大きな魅力があります。もちろん、創作家の世代毎にそれぞれ持ち味や魅力があります。鑑賞する側にとっては、それぞれの魅力に自分の感性が揺さぶられればいいだけのことなのです。
また、自分の生きてきた人生の変遷と比較しながら、創作家の精神的変遷を感じてみるのも、また一つの作品の鑑賞の楽しみと言えるのではないでしょうか。
ラベル:
作曲・音楽理論
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿