2011年9月11日日曜日

合唱演奏で伝えたい何か

本当に伝えなければならないことは、詩の内容のどんなところなのか、なかなかゼロから分析を始めるのは難しそうなので、分かりやすくケースごとに考えてみましょう。

●例えば「大地讃頌」のような曲
ベタな例ですいませんが、誰でも知っている邦人合唱曲の名曲。これこそ合唱の基本的な力を効果的に表現できる希有な曲といっていいと思うのです。以前この曲について書いた記事はこちら
この詩の持つ壮大なイメージには本当に圧倒されます。大地こそ人間の恵みの源である。その大地を愛そう、というメッセージは極めて普遍的で、動物としての根源的なパワーを刺激してくれます。
そう、このメッセージはロジカルなものでなく、政治的主張でもない、内容の具体性は欠けるけれどもエネルギー密度の高い感性の奥底に直接訴える強さがあります。
どんなに言葉を尽くしても、この曲では一言「母なる大地」という言葉を連呼するだけで、歌う側、聞く側にエモーショナルな感銘を与えることが出来ます。
このとき、歌詞を一字一句伝えるべき、と誰が考えるでしょうか。もちろん言葉は明瞭なほうが良いけれど、むしろ追求すべきはこの曲の持つ壮大さ、荘厳さをどのように声楽的に表現するかであり、迫力のサウンドこそこの曲にふさわしいと感じます。

●物語系
さて、上記の例と対極にあるのが、テキスト自体が一つのストーリー性を帯びているような楽曲の場合です。
仮にこのテキストに起承転結のような起伏があったとします。そうすると、音楽もこの流れで作られることになるわけですが、音楽の「転」の箇所にはテキストの「転」もあるわけで、この箇所のテキストをきちんと伝えないと、ストーリーが聴衆に伝わりません。
ここでは絶対的に歌詞を伝えることが必要になります。
そして皮肉なことに歌詞の内容を直接的に伝えようと思えば思うほど、歌詞は音楽に乗せないほうが効率が良くなります。ありていに言えば、話したほうが良く伝わります。
もちろんセリフやナレーションの入った合唱曲もありますが、そういうのはむしろ演出付きの傍流ものというイメージは強い。実際には多くの邦人合唱曲が、ある程度のストーリー性を持った詩においても、普通に音楽が付けられ、聴衆に良く理解されないまま歌われているのが実態ではないでしょうか。
ここで私が言いたい点をまとめれば、ロジカルで具体的な内容を伝えるには、音楽に乗せないほうが分かりやすく、逆にエモーショナルな漠然としたイメージを伝えたいときは音楽に乗せたほうが聴いた者を高揚させるということです。

●宗教曲
宗教曲こそ、合唱におけるハイコンテキストなジャンルの一つと言っていいでしょう。
ハイコンテキストというのは、共通した文化的背景があって始めて相互理解が成り立つというような状況を言います。もちろん、文化的な背景を知らなくても感動は出来る、という指摘もあるでしょうが、それが成り立つことは極めて少ないのが実態だと思います。
合唱を長い間続けてきた人にとって宗教曲は抵抗の無いものですし、たくさんの名曲があるのですから歌わない手はありません。しかし、演奏会で合唱に滅多に触れない一般人の感想を聞けば、その想いが決して伝わっていないように思えます。
キリスト教文化圏において宗教曲を歌うことと、そうでないところで歌うこととは、大きな差があることは否めません。
だからこそ、我々が何故宗教曲を歌うのかということを、もっと積極的に意味付けし発信していくことが必要と考えます。音楽の力だけで感動させる、というのはキレイごと。聞く者にもう少し事前情報を伝えなければ、楽曲の本質的な価値を伝えることは難しいのではないかと思います。

こんな風に考えれば考えるほど、なんだか我々はいばらの道を歩んでいるような気になります。
しかし、自分たちの歌っていることがどれだけ「伝わっていないか」をもっと知るべきだと思うし、であれば逆にもっと伝わりやすい音楽を歌うべきだし、「伝わらない」音楽は淘汰されなければいけません。狭い世界の閉ざされた価値観で物事を考えているうちに、狭い世界そのものが淘汰されかねない、と私には思えてしまうのです。

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