今年の課題曲になった曲ということで、やや詳しく3回にわたって書いています。この曲については、この3回目で終わるつもり。今回はアーティキュレーションなどの細かいことをいくつか。
声楽の書法は作曲家によってずいぶんクセがあります。
例えばスラー。かなり以前にこんなことを書きました。この「父の唄」を見る限り、この作曲家は同発音のフレージングを示すようなスラーは指示していないようです。具体的には、何カ所かに現れるハミング(m)、日本語の長音(「そうしたように」といった歌詞の「そう」「よう」の部分などにスラーを使っていません。
その代わり、歌詞の付いたフレーズのいくつかにスラーがかかっています。39小節の「とおくゆけ」、53小節の「ときをこえてとおくゆけ」などです。
従って、この曲の場合作曲家が、この言葉はレガートっぽく歌って欲しい、というような意味でスラーを使っていると考えて良さそうです。
スラーが比較的淡泊なのに比べると、クレシェンド、デクレシェンドが非常に多用されているのが特徴です。合唱曲の中では多いほうの部類に入るのではないでしょうか。
普通に歌えばそういう感じになるだろう、というような部分まで書いてあるので、親切と言えば親切なのですが、ここだけはこうして欲しい、というメッセージがやや伝わりにくくなります。このディナーミクの指示の中から、どれが重要な指示なのか、解釈する側のセンスが問われる部分になるでしょう。
また音量の指定(フォルテ、ピアノ)も同様に、時間的に非常に細かい単位で音量が頻繁に変わっています。実際の演奏の場では、そこまで厳密に歌い分けきれないほどです。これも、演奏する側がどこを特に重要な指示と考えるかによって演奏は変わってくるでしょう。
実際にこの曲を歌ってみると、全体を通して非常に一様な印象があります。その理由は、まず詩が有節歌曲的なために歌詞の中に同じ言葉が頻繁に現れること、それから曲全体で拍子やリズムの変化が無く、またコード進行も似た流れが多い、ということが挙げられます。
この一様な曲をそのまま演奏してしまうと、引っかかりの無いのっぺりとした音楽になる可能性があります。まあ、それを良しとする考えもありますが、普通ならお客さんに対してもう少し演奏の印象を残したいものです。
従って、曲の中で何点か印象を残すためのポイントを作るべきです。その際、音量やスラーの指示に加えて、テヌート、アクセントなどのアーティキュレーションの指示がその手がかりになることでしょう。
また、コード展開については、ベースの半音の違いだけで和声感が変わる場所が多いので、ベースのピッチについては、やや神経質に歌う必要があるように感じました。
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