2008年10月11日土曜日

朝日作曲賞の選評を読んで

ハーモニー秋号の新実氏の朝日作曲賞選評は、なかなか興味深い記事でした。
曰く応募者は「日本の合唱曲を聴き過ぎている」とのこと。
新実氏はその現状を打破するために、「管弦楽曲や室内楽曲を研究してほしい」旨書いてありますが、私は若干思うことが異なります。
私の思うに、むしろ応募者は合唱の現場にあまりいない方が多く、応募のためにいくつかの流行りの合唱曲を研究した結果、このような曲を作っているのではないでしょうか。まあ、聞き過ぎている、という意味ではその通りかもしれませんが。
現場にいない人にとって、好きに書いてあまりに空気の読めない曲を作る方が怖いはず。受賞を目指すならなおさらのこと。いつもは管弦楽曲や室内楽曲などでバリバリの現代音楽を作っていたって、合唱になると甘いハーモニーを書かなきゃと思ってしまうのかもしれません。
むしろ現場にどっぷり浸かりながらも、現状に疑問を持っている人の方が思い切ったことが出来ると思うのは、手前味噌な意見でしょうか。(拙作が今ひとつ広く歌われないのは思い切り過ぎているのかも、とも感じるけど、それは買い被り過ぎか)

正直、演奏審査曲が軒並みピアノ伴奏付きなのと、詩の選び方、題名の付け方、だけを見ただけでも、何となく曲の雰囲気が想像できる感じ。
私のようなあまのじゃくは、谷川俊太郎の詩がいかに素晴らしくても、みんなが使い過ぎているという理由だけで採りあげるのに萎えてしまいます。アカペラ中心っていうのも、実はそういう理由なのかも。
��でもピアノ伴奏付きの曲も書いているんですよ)

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