2007年7月14日土曜日

メロディ学 拍節感

拍節感って何となく意味が通じてしまう便利な言葉なのですが、人それぞれ厳密なイメージがずれていないか、心配なところでもあります。
私の言うところの「拍節感」とは、「拍」がビートの最小単位であり、「節」は小節、つまり「拍」の集まりでもう一段階大きな構成を意味し、この二つが合わさることで、拍の強さとその繰り返し感全般を表している、といったような定義です。
従って、私にとって拍節感はテンポの速さとは関係ないし、リズムの種類のことでもありません。あくまで、ビートを感じるか、そしてその繰り返し感を感じるか、ということなのです。

そういう意味では、拍節感とは3段階のレベルがあります。
 第一レベル:「拍」も「節」も感じない
 第二レベル:「拍」は感じるが、「節」は感じない
 第三レベル:「拍」も「節」もはっきりしている
第二レベルとは、例えばルネサンス期のポリフォニー音楽などを想像してみてください。そもそも、この時代の楽譜には小節線がありませんでした。ビートはたいてい二分音符が基本となっているのは感じるのですが、それがいくつあって一つの小節と感じるか、ということは音楽を聴いても感じるのは難しいでしょう。
あるいは、ビートははっきりしていても、言語に合わせて変拍子が多用されるような場合、音楽だけで小節感を感じることは難しくなります。それも第二レベル的といえるかもしれません。

「拍」を感じる音楽が、さらに「節」まで感じられるようになるには、「拍」の繰り返し感が必要です。
繰り返し感は基本的には、メロディや伴奏のパターン類似性から類推できますし、また各ビートの強弱でその感覚は補強されます。場合によってはビートによって長短がつく場合もあるかもしれません。西洋音楽的にはポリフォニーがホモフォニーに変化していく段階で、このような「節」感が明確になってきたものと思われます。

メロディにおいても、上記の三レベル、いずれのパターンもありえると思います。例えば、民謡のメロディなどを集めてみて、上のレベルに当てはめてみるといろいろと興味深いことを感じられるかもしれません。

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