2007年5月27日日曜日

クサいものにフタをする私たち2

特に日本と欧米で感覚が違うなあと思うジャンルは、映画と音楽。
最近の映画で、先日も書いた「バベル」ですが、いろいろネット上の感想など見てみると、多くの人が不快で面白くないと言っています。さもありなん、という感じ。
おおよそ、美しいという価値観とは正反対のアプローチで作られています。ある意味、この世の醜いものを、普段の生活の中から拾い出して、執拗に描写しているからです。日本人的には直視に耐えられないリアルさが、その不快さを生み出しているのでしょう。
もちろんアメリカ人とて賛否はあるでしょうが、それでもアメリカにはああいった映画がアカデミー賞にノミネートされるだけの土壌があります。何か考えさせるものがある、という視点がアメリカのアカデミックな層には重要なのだと思います。
私自身はそれほど好きではないけど、映画監督の北野武(ビートたけし)がヨーロッパで受けるというのも何か同じようなものを感じます。どちらかというと、今の人気はヨーロッパからの逆輸入的な側面もありますね。

私が日本の映画で思うのは、その人間関係のうそ臭さ。
もともと美しくもあるはずがない人間関係も美的に処理されて、献身的な態度とか、ものごとにあたる情熱とか、無償の愛とか、登場する人物がすべていい人であり過ぎるんです。それは、テレビドラマにも言えること。日常に存在する嫌なものを、ドラマでなんか見たくないのでしょう。その気持ちは分からなくもないけれど、より深いものを表現しようと思っているクリエータにとっては微妙な心持ちではないでしょうか。

こんなことを書き始めたら、図らずも今日の朝日新聞に画家、岡本太郎のこんな言葉が載っていました。

「今日(こんにち)の芸術は、
うまくあってはいけない。
きれいであってはならない。
ここちよくあってはならない。
と、私は宣言します。それが芸術における根本条件である、と確信するからです。」


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