2006年11月22日水曜日

邦人曲の特殊性-ピアノ伴奏

邦人曲が洋モノと何が違うって、やはりピアノ伴奏に対する考え方でしょう。
そもそも洋モノの合唱曲にはピアノ伴奏付きのものがほとんどありません。もちろん全然ないとは言いませんが、一般的に芸術性の高い合唱音楽というのは、アカペラであることがほとんど。オーケストラ伴奏、オルガン伴奏のほうがピアノ伴奏よりもまだ多いくらいかもしれません。また、ピアノ伴奏が付いていても、かなりシンプルな伴奏だったり、合唱パートも簡単だったりで、芸術性の追求というよりはすぐに歌える気軽さを意識しているように思えます。
何か根本的に合唱に対するピアノの感覚が違うのです。

もちろん、音楽文化の違い、というのはあるでしょう。恐らく日本の音楽文化というのは明治以来ピアノ中心に発展してきており、全ての音楽の中心にピアノがある。しかし、他の国は違うような気がします。
もしかしたらピアノというのは、あんまりいい比喩じゃないけど、補助輪付きの自転車のような捉え方をされているのかもしれません。ピアノ一台あれば、音楽の和声感やビート感を表現できてしまいます。歌う側は、音楽の骨組みをピアノにまかせ、あとは自由に表情たっぷりに歌うことができます。
悪い言い方をすれば音楽の基礎はおいといて、とりあえず気持ちのいい部分だけいただこう、という風にもとれます。そういう意味で、ピアノ伴奏で歌った場合、アカペラに比べたらソルフェージュ的な正確さを追求される度合いは薄まることでしょう。未だに多くの合唱団が「ウチはアカペラが苦手なんで~」なんて言うのを聞きますが、それは言い換えれば、まあ気持ちよく歌えればいいじゃない、と開き直っているとさえ感じます。

ピアノ伴奏が、そもそも歌が苦手な人のための補助輪のようなものだとしたら、なぜここまで、邦人合唱曲はピアノ伴奏の重要度を高めてしまったのでしょう。
これまた妙なアナロジーを持ち出しますが、この状況はもしかして、マンガ、アニメとかに通じるものがあるのでは、という気がします。少なくとも、日本以外では、マンガ、アニメはお子様向けのものだった。もちろん、最初は日本もそうだったのでしょう。ところが、なぜか才能のある人がマンガやアニメで素晴らしい作品を作るようになり、日本のマンガ、アニメは世界を席捲するほどになりました。
なぜか、ジャンルの入り口(幼児向け、初心者向けというような)にある場所からなかなか離れることができず、そういっている間に、その入り口そのものをすごいジャンルに発展させてしまう、というような性質が日本人にはあるような気がします。
ちょっと関連する話題を以前書いたことがあります。→ここ
しかし、残念ながら、日本のピアノ伴奏つき合唱曲は世界を席捲するには至っていないようですが。

2 件のコメント:

  1. こういう話をしだすと、かならず「純正律」vs「平均律」みたいな話になっていきますよね。
    私は日本人のお稽古ピアノの既習率が高いことと、小中学校の学校コンクール用の曲という巨大な市場があったことが、ピアノ用曲が大量生産された土壌だと感じています。

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  2. >私は日本人のお稽古ピアノの既習率が高いことと
    音楽の習い事というとピアノと相場が決まってますからね。日本には絶対的なピアノ信仰というのがあるような気がします。
    私自身は、ピアノが平均律であることはそんなに問題にはしません。(それを言ったらオルガンを始めたとした全ての鍵盤楽器が同じことになるし)
    それよりも、減衰系の音色が、音楽を線より点で感じさせることにおいて、合唱の練習にマイナスになると感じています。

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