合唱曲を歌っていて、邦人モノと洋モノでなんでこんなに肌触りが違うのだろう、と感じたりしませんか。
例えば、イギリスの合唱曲とフランスの合唱曲でも、もちろん音楽の雰囲気は違うし、言語からくる音楽の拍節感も変わってくるでしょう。さらに、ハンガリー物や北欧物、ちょっと毛色が変わってフィリピンの合唱曲などなど、どれもがもちろんそれなりの特徴を有しています。しかし、それでも、それら同士の違いよりも圧倒的に邦人合唱曲ってかけ離れているような気がするのは私だけでしょうか。
私は高校時代から合唱団でずっと邦人曲を歌ってきましたから、学生時代は合唱曲とはそういうものだと思っていたし、むしろ海外の合唱曲のほうが取っ付きにくくて近寄りがたい雰囲気を感じたものです。ところが、自分自身で曲を作ったり、演奏活動が充実するにつれ、邦人合唱曲に根本的に足りない何かを捜し求めるように、どんどん洋モノの合唱曲に吸い寄せられるようになって来たのは紛れもない事実。
私が作曲する曲は当然全て邦人曲なワケで、よく考えてみると私自身がこれまで曲を作るために考えたことの多くは、その邦人曲に足りない何かを探すことだったような気がします。もちろん、これは洋モノみたいなカッコ良さへの単純な憧れというわけじゃなくて、邦人曲だってもっともっと魅力のある試みができるのじゃないか、という問いなのです。
こんなことを書くとずいぶんエラそうですが、もちろん自分の試みがうまく行っているなどという自信もないわけで、いつもいつも同じような命題が、まるで振り子が振れるように私の意識の中で放浪しています。
そんなわけで「邦人合唱曲」の特殊性みたいなものを、もう少し具体的に、また論じてみたいと思っています。
邦人合唱曲の特徴に関しては、ピアノ伴奏付きの曲が外国に較べて異常に発達してることがありますね。
返信削除この点もけっこう不思議なので、ぜひ論じていただきたいです。
書く前に話題提起されてしまいました。
返信削除もちろん、まず最初にピアノ伴奏のことを論ずることになるでしょうね。
思うことは多々あれど、きちんとまとまりそうもないですが・・・