ひところ、合唱界で流行ったマリー・シェーファーですが、最近某団体でガムランを振ることになり、私もようやくシェーファーと関わることになりました。
合唱作曲家としてシェーファーは日本でも比較的知られているものと思いますが、一般的にはサウンドスケープという言葉の提唱者として知られているようです。私自身は、サウンドスケープをアカデミックな立場で関わったことはないので適当なことは言えませんが、訳せば「音の風景」ということで、私たちの周りにある音、音響を風景として感じるといったような意味なのでしょうか。
しかし、逆に風景、情景としての音を音楽にする、と考えると、これはまさにシェーファーの作風に繋がるわけです。一見、シェーファーの音楽は、オモシロ系、キワモノ系、飛び道具系、といったような作品だと思われてしまうことが多いのでしょうが、それは私たちが合唱コンクール的なモノの見方に毒されているからかもしれません。
合唱といえば、歌詞にメロディが充てられ、それにハーモニーが付いているもの、と考えがちですが、もしかしたら人間の声で何かの音を模倣する、というのはもっと根源的で原始的な人間の習性なのでは、とか思ってみたりします。
��00万年前、まだ人類の祖先が十分に言語を獲得していなかったころ、彼らは獰猛な獣が来ることをどうやって仲間に伝えたでしょう?その獣の様子を真似したのではないでしょうか。そして、そんな感じで彼らは、何かを真似ることで何かを指示し、そして言語を発展させたということはないでしょうか。
ちょっと大それた推論ですが、自然の音を真似ることが、一つの芸術表現として我々に強い印象を与えるのは、そんな背景があるような気がします。そして、シェーファーはその可能性に気付いた稀有な創作家なのかもしれない、と私には思えます。
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