今、私のところにも毎日10通ほどスパムメールがやって来ます。
DMだって十分うるさいのに、自分とは全く関係ないスパムメールを毎日のように削除するのは、全くバカバカしい行為です。
まあ、HP上でメールアドレスをさらしているので、何のメールが来てもおかしくは無い状態ですが、他人からのメールを受け付けたいから公表しているわけで、スパムの嵐から解放されるためにアドレスを変えるのもまた口惜しく、未だに何も対策していません。
実際、プロバイダにもスパム対策のサービスはあるのですが、送信先も受信先も毎日のように違い、タイトルでも特定の文字列では判定できないとなるとそういうサービスもほとんどお手上げです。
まだ10通程度なのでいいですけど、これが100通とかなったらマジメに考えないとやっていけないでしょうね。そうなる可能性は、十分あるわけですし。
そう考えると、ネットの世界というのはつくづく不思議なもののように思えます。
どんな通信手段だって完璧というものはありません。しかし、ツールが便利になればなるほど、結局行き着くところは「人間」の問題なんだなあ、と最近は感じたりするのです。
電子メールの良さは、パソコンの前にいるだけで、世界中の誰にでも自由に手紙を出せるということです。距離という障壁、手続きの面倒さという障壁が無くなれば、送りたい人にとってはどこまでも便利なツールです。送るのに不便だったり、お金がかかったりしたからこそ、通信量が抑えられていたのであり、お手軽になればなるほど全体の通信量が増えるのは当然のことでしょう。
送る人が自由になった分、送られる人の迷惑さという、今まで考えもしなかったことがクローズアップされます。不必要なものなら送られれば捨てればよい、と昔なら思えたのですが、「捨てる」という行為さえ莫大な時間になってしまう、ということまで予想することは出来ませんでした。
所詮、便利なツールを作っても使うのは人間です。人間が、このツールをどのように使うのか、それをきちんと規定しなければ、結局のところツールは使えないのです。法を犯すことにためらいを感じない人がすこしでも商売で儲けようと思えば、こういったツールをいくらでも悪用することは出来ます。使う人の道徳心などに期待するレベルではなくなってきているのです。
携帯のメールでも、アダルトサイトのメールを頻繁に受信します。こちらは特に削除するようなこともしていませんが、老若男女みさかい無くこのようなメールが送られるとは、今までの常識では考えられませんでした。通信にお金がかかったからこそ、昔はノッてきそうな人だけに連絡していたのでしょうが、メールを送るコストがタダになれば、そんなまどろっこしいことはしないのは当たり前です。プログラムさえ書けば、何もしなくたって自動的にメールを送ることは出来るのですから。
しかし、その結果、誰のみさかいも無くああいうメールが送られてくる世の中って何か間違っている・・・と思いませんか。世の中にあるノイズが、オープンな環境によって、簡単にかたぎな世界に流れてしまうのです。
いま、考えようによれば、ネット社会は管理化のほうに行くか、オープン化のほうに行くか、迷っているような気がします。
例えば、世の中の全ての人の行為が管理されれば、世の中の悪を取り締まるのに非常に効率が良くなるでしょう。しかし、そんな世界は誰も望まない。逆に、何も管理せずにオープン化すれば、様々な利益を世界中の人々が享受できるのと同時に、一部から発せられるノイズがどこまでも凶悪になることを容認することになります。
スパムメールを根本的な意味で退治するのは不可能に思えます。例えば、あるアドレスから一定時間内に大量にメールが出るのを取り締まるのならDMと区別する方法が必要ですし、そうやったとしてもスパムの発信先を転々と変えるような手法が現れれば、あっという間に上の方法は意味が無くなります。
結局のところ、自分自身がメールに対してフィルターをかける方法を考えていかざるを得ないのでしょうか。
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