2013年10月19日土曜日

一人で生きることとみんなで生きること ─みんなで何かを作る

私たちは日常的に「何かを作る」行為を行なっています。
当然、複数人で何か一つのものを作るということもあります。

複数人で何かを作る場合には、一定のルールを設ける必要がどうしても出てきます。
一つのものをみんなで作ろうとした場合、目に見えないそういったルールや作業分担の仕組みが、作った物の出来映えに大きく影響します。

ところで、私は作曲活動をしていますが、通常作曲は一人で行なうものです。
作曲のアウトプットは楽譜とすると、私は一人で楽譜を作れば良いのです。楽譜を作るためにはテーマを決めて、構成を決めて、音符を配置し、表現を付けて、間違いがないか調べて、見た目を整えて・・・といった作業を行ないます。


例えば,上記の作業を複数人でやったらどうでしょうか。
まず作業をどのように割り振るか考える必要があります。
もちろん一つ一つの作業をみんなで相談しながらやっても構いません。特に最初のテーマ決めは全員が関わりたい作業でしょう。しかし、作業が細かくなるにつれ、同じ箇所をみんなで相談しながら作ると時間ばかりかかって一向に作業が進まなくなります。

ここでいくつか作業の割り振りを決める必要があります。
テーマを決めた後、楽曲を人数分に分割して、それぞれの箇所を一人の人に担当してもらうやり方がまず考えられます。水平分担型とでもいいましょうか。
あるいは、複数人が同時に作業しなくても良いのなら、全体の仕事の分割を流れ作業的にして、まず細かい曲構成を決める人、構成に従って音符を配置する人、音量などの表現を書き込む人、校正・チェックを行なう人、という分担も考えられます。これを垂直分担型と呼ぶことにしましょう。
まあ、作曲の場合、芸術的な要素が強いので、後者の垂直分担ということはまず考えられませんが、実利的な面が強ければ作業内容ごとに分担を分けることは効率的で、アウトプットを均質化します。

上記の作曲の例でいうと、垂直分担型の難しさは非常に分かりやすくなります。
つまり、曲の構造を考えてもメロディは別の人とか、メロディを考えるのと音量を考えるのが別の人とか、まあ正直、こんな方法で作曲を行なうのはかなり難しいです。
それでも敢えてそういう分担を行なうなら、構成担当者とメロディ担当者と音量担当者が、音楽の流れの盛り上がり方や落ち着かせ方の分類を行ない、その相互関係のルールを決めて、表記法や禁則などを文書化する必要が出てくるでしょう。
こう書くと無茶苦茶ヘンテコなお話のように見えますが、話が作曲でなければ、こういうことは日常的に多くの人が行なっていることです。


私は仕事でプログラムを書いていますが、まさに似たような問題にいつも遭遇します。
今でもプログラミングの多くのプロジェクトは水平分担型で仕事を割り振っています。
ところが、よりプログラムが大規模になってくると、OS部分や、表示のフレームワークといったソフトウェアの部品を担当する人が必要になってきます。OS機能は多くの人が利用するので、これはまさに垂直分担型ということになります。

そして世の中は、OSがパッケージングされ、WindowsとかLinuxとか、iOSとかAndroidとか、垂直分担のパッケージがまとまった創作物として確立してしまいました。
このように各層をブラックボックス化すれば、作業の効率は飛躍的に高まるからです。こういった傾向は今後ますます拍車がかかるでしょう。最終的にはソフトウェアがブロック化され、最終商品はブロックを組み合わせることによって作成するようなメタプログラミング的世界がやってくるものと思います。


やや話が逸れましたが、みんなで何かを作る場合、上記のような水平分担か垂直分担かの判断の必要があり、それを統べるリーダーがその分担について自覚的でなければいけないと思います。
人が少ないなら、水平分担が分かりやすいのですが、分担されたものの出来映えにずいぶん差が出る可能性があります。実利的なものを作る場合、それは品質に大きく影響してしまいます。一人一人が芸術家としての矜持を持って対応出来る人たちなら水平分担は適度なライバル意識を刺激して良い結果をもたらしますが、個々人の能力差が無視出来ない場合はむしろ垂直分担を検討した方が良いような気がします。


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