自分の身の回りにも、良かれと思ってやっているけれど、本当にここまでの完璧主義が必要なのかと思うようなことに遭遇することが度々あります。
我々日本人は完璧であることを美徳とする性質があるのでしょう。
工業製品の場合、性能が目に見えて良くなっていた時代は良かったのですが、あるところから革新的な変化が起こらないようになると、作り手の関心は完璧であることに移ってきたのではないか、と思うのです。
そしてそれは作り手だけでなく、製品を手に入れる消費者にも同じマインドが波及してきました。
例えば、自分の購入したある製品が思い通りに動かなかったとします。仮にそれが相当な悪条件だったり、特定の限定された状況だったとしても、そんなことは御構い無しにお客さんは販売元にクレームを付けます。
それが製品の性能限界である場合もありますし、使い方が悪いということもあるでしょう。お客さんに直接対するサポートセンターでは何とかお客さんに理解してもらうように務めますが、そういう情報はそのまま商品開発部署に流れてきます。
場合によっては、品質管理の部署にこういう問題が大きくクローズアップされ、「何とかすることは出来ないか?」という依頼が開発部署にやってきます。
本当の重大な不具合なら、上記の情報の流れ自体は全く何の問題も無いのですが、そこで扱われるクレームが現場からすれば性能限界に近いようなものであっても、中盤にいる人たちが感じる完璧主義によって途中ではリジェクトされず、お客さん以上の圧力となって現場に流れてきます。
一つのクレームが治すべきものか、そうでないのか、という判断は非常に難しいものですが、難しいからこそ完璧主義側に振れ過ぎているのが今の私たちの状況ではないかと感じます。
プロフェッショナルであるということは完璧であること、だと思っている人が多いのでしょう。
それは決して間違っているわけではありません。プロフェッショナルである条件の一つの要素であることは確かです。
しかし、それよりはるかに重要なのは、世の中が必要としている(であろう)新しい価値を提供することです。
世の中が必要としている、というのは、企業活動で言えば、その商品やサービスで売り上げが増え適正な利益が確保出来るということを意味します。利益が出るということは、支出より収入が勝っているということです。
完璧でないものを売れば、商品イメージが悪くなり結果的に売り上げが減っていくでしょうが、市場が要求する以上の完璧を求めると、完璧であることのコストが増大していき、今度は支出が増えていきます。
金勘定になると生々しい感じがしてしまうし、利益追求で品質をおろそかにするな、という批判を言う人も出てくるでしょう。しかし、過剰な完璧主義は作り手の自己満足に陥るという側面も持っていると私は感じます。
もう一度、プロフェッショナルであるということはどういうことか、本質から考えてみたいのです。
世の中に必要とされていることとのバランスを取る、ということは、プロフェッショナルであることの大きな要素です。
必要とされていないものを作ることは、言ってみればアマチュアリズムです。
プロフェッショナルであれ、ということは、世の中に必要なモノを提供し続けることであり、それは適正な利益を出せということであり、そして自己満足に陥りやすい完璧主義に落ちないようにするバランス感覚を持てということなのです。
まあ一般論として納得してもらえても、個別案件となればまた話が違ってくるのが、世の常。それは結局、プロフェッショナルとしてのセンスの問題なのでしょうけれどね・・・。
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