今は、技術の価値観が大きく変化している状況ではないかと私は感じています。現状では、古い技術の価値感を持っている人と、新しい技術の価値観を持っている人が混在しているように見えるのです。
どんな価値観が古いのか、そして新しいのか、私の思うところを書いてみます。
これまで科学技術の発展は、より高性能に高機能になることでした。
蒸気機関以来、機械は自動で動くようになり、ひたすらその性能は上がってきました。より速く、より安定し、より効率の高いシステムが作られ、利用する側はその性能の向上を体感することが出来ました。
例えば自動車は、年々スピードが速くなったし、馬力も出るようになったし、乗り心地も良くなりました。こういう価値観は80年代、90年代くらいまでは確実に正しかったように思います。
今でもこの価値観が正しいのはコンピュータや通信網の性能です。
未だにCPUは高性能化を目指していますし、通信インフラもどんどん高性能、高品質になってきています。年を追うごとに私たちはそれを実感できます。
ところが、この高性能、高機能であること、が確実に古い価値観になってしまったものもあると思います。
最も顕著なものはAV機器です。かつては高性能なAV機器が売れていましたが、今ではコモディティ化が進み、AV機器の値段はだいぶ下がってしまいました。AV機器において高性能、高機能が古い価値観である、という考えには異論はあるでしょうが、私見によれば異論をいう方は古い価値観に囚われている人たちのように思えます。
確かにYouTubeでは低品質な映像や音声が溢れています。
しかし、これはほとんどデータをアップした側の問題であり、インフラとしてはある程度の品質を持っているはず。
テレビにいたっては、各メーカーがどれほど高画質か謳っても、もはやその差は好みの域を出ないように感じます。もちろん、何らかの基準上では数値は良くなっているのでしょうが、それは消費者としてそれほど価値あるものとは思いません。
ここ十数年のIT技術の発達は、こういうAV技術の価値観をすっかり変えてしまったように感じます。
当たり前ですが、多くの人は映像や音声の質そのものを楽しむわけではなくて、それで伝えられるコンテンツを楽しみます。だから、コンテンツを楽しむことを阻害する要因が取り除かれていればほとんどの人はそれで十分なのです。
例えば、テレビドラマを楽しむ人は、ドラマの会話が聞き取れれば十分で、超高音質の音声などそれほど必要ありません。
また、画質についても子供向けのアニメを見たい人と、雄大な自然美を映像で見たい人では、価値観が相当違っているはず。もちろん後者の方が古い価値観を持っている確率が高そうです。
ある程度の高音質や高機能が達成された今、ほとんどの人は現状のスペックで満足できるレベルに来てしまいました。
では、今重要な価値観とはなんなのでしょうか?
私が今後技術として重要だと思う価値観は、例えば「すぐに使える」「どこでも使える」「誰かと感動をすぐに共有できる」「自分でも作れる」といったものです。
例えば100型のテレビは素晴らしい映像体験を与えてくれるでしょうが、持ち歩いてどこでも見ることは不可能です。
ましてや、感動をすぐに伝えたいとき、それはPCでインターネットでやればいいからテレビは関係ない、と言ってしまえば、この価値観は追求さえされません。
音や映像の再現技術に関しては、もはや基本性能は人々が十分満足できるレベルに達してしまいました。ですから、こういった領域においては、上で言ったような新しい価値観の技術を考えていくべきだと思います。
全ての高性能化を目指している技術者の皆様へ。
その価値観を改めて、新しい価値観で新しい技術を考えてみませんか。
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