2012年1月31日火曜日

リーダー論とメンバーの意識


組織論っぽいことを最近書いているわけですが、先日もNHKでリーダーシップの番組をやっていたのを観て、組織論とリーダー論は切っても切れない関係にあるなあと感じました。

例えば、日本の政治は二流で、最近は政治家の質が落ち、首相を勤められるような人材がいないなどと良く言われます。
政治が二流なのは認めるけれど、私は政治家個人の質が低いとも思わないし、首相にふさわしい人もたくさんいると思います。何が悪いかはそう簡単な問題ではないのでしょうが、それでも私にはあまりに多くの国民が政治家に過剰な期待をしているのではないかと感じます。
政治家だけではありません。自分たちの組織のリーダーに対しても同じです。今、日本人はリーダーと呼ばれる人たちに対して過剰な期待をし過ぎているのではないかと思うのです。

以前読んだこのブログ記事が秀逸です。
かいつまんで言ってしまえば、リーダーの経験のある人は、自分がリーダーでないときにリーダーの気持ちを理解することが出来るようになり、リーダーの補佐的な振る舞いをするようになります。
当然ながら優れたリーダーの周りにそれを補佐する人たちが集まれば、そのチームは素晴らしいパフォーマンスを上げることが出来るでしょう。
しかし、リーダーの気持ちが分からないと、面倒なことに対して自分の不満の感情のほうが先に立ってしまいます。上から命じられることに不満を感じ、言うことを聞かない人がいれば、そのチームの雰囲気も悪くなるし当然パフォーマンスも落ちてきます。

当たり前のことですが、チームが良い結果を上げるためには、リーダーの力だけでなくチームのメンバーの協力が不可欠です。チームはリーダーの努力だけで作るのではないのです。
最近、テレビのコメンテーターやアナウンサーのコメント、自分の身の回りのいろいろな意見を聞く度に(そして、恐らく私自身もついつい)上に対する不満ばかり言っているような気がします。
有能なリーダーが求められている今の時代というのは、実はリーダーの言うことを聞かなくなった私たちの現状の裏返しなのではないかと感じたりするのです。

そう考えると、今我々が求めるべきはリーダーへの過剰な期待ではなく、自分がチームの中でどういう役割を持ち、何をしなければならないのか自問自答する意識ではないかと感じます。
良くも悪くも日本では、たいていの場合個人の意志に反して組織から排除されることはありません。会社もめったなことでは社員を解雇出来ません。
そういう安住の場所にいられることが、自分の努力よりも他人への過剰な期待を生む結果になってしまったのではないかと感じます。

もちろん、そのような時代にリーダーになった人は本当に難しい舵取りを強いられていると思います。今の時代、良いリーダーと呼ばれる方は本当に尊敬に値する人なんじゃないかと私には思われます。

0 件のコメント:

コメントを投稿