千原英喜のお伽草子より、ヴォア・ヴェールの演奏会では2曲演奏します。
2曲目は「一寸法師」。意外とストーリーを覚えていない昔話。鬼退治に行く昔話は、金太郎とか桃太郎とかぐちゃぐちゃになっていて、どれがどれだか分からないもんですね。
で、一寸法師も鬼退治なのです。
しかし、オリジナルの一寸法師は上昇志向の強い、ややあくどいとも思えるキャラクター。なのに、最後に背は高くなるわ、金銀財宝を手に入れるわ、美しい姫と結婚するわで、おおよそ道徳的とは言い難いストーリーに思えてしまいます。
さて、この曲でまず目にとまるのは冒頭、一寸法師のテーマのアーティキュレーション記号の多さ。スタカート、アクセント、メゾスタカート、がたくさんついています。それほど、このフレーズにこだわりがあるのかは、ちょっと疑問。私は、たくさん付けること自体が目的のようにも思えます。つまり、テーマとしてフレーズに特徴を持たせようといった意志です。
この曲も紙芝居的にいろいろなフレーズが現れてきますが、そのような音楽に構造性を持たせるには繰り返しを強く意識させる必要があります。そのため、特定のフレーズを際立たせるため、わざと過剰な表情を付けさせるというのは、理にかなっているわけです。
もう一つ、細かいこだわり。練習番号7の微妙な音価の設定は何でしょう。普通考えれば「タッカ」のリズムなので、「付点八分+十六分」で書けばいいのに、わざわざ「八分+十六分休符+十六分」で書いています。行進曲風にとあるように、よほど柔らかく歌われるのが嫌だったのでしょう。間に十六分休符を入れることによって、心理的に音が硬くなるように歌うはず。ですから、何も考えずにここを「タッカタッカ」で歌ってしまわないように気をつけるべきです。
和声的には相変わらずのドライなほどのシンプルさ。だから、凝った音使いにはことさらに注意が向きます。例えば、26ページ頭の辺りの「くらわんとー」。変な音程は実は単なる半音進行。こういうところは変にしたいだけなのだから、それほど音程にこだわる必要もありません。
しかし、練習番号18の「どう、どう」は珍しく非常に多声に分かれ、旋法的な音の塊を作ります。このハモりはきれいだし、音程を外したくないところ。しかし、div.が多くて練習ではなかなかハモらず、苦労しています。
その後、大事なところはユニゾン、という千原節がここでも豊かに展開されます。
あぁ、この大胆さはとてもかないません。アカペラでこんなにユニゾンをうまく使える作曲家は、もう千原氏しか考えられません。同じようにやったら真似にしかならないし・・・
こういうユニゾンは、いわゆる教会音楽をやるような繊細さは必要ないかもしれません。聴き手を圧倒するような語り口こそ、求められます。
あと、ちょっと戻りますが、練習番号13からのアップテンポのフレーズも千原氏独特で気持ちいい。「おらしょ」にも出てきますが、男声と女声が掛け合いになり、男声内、女声内で反行形を作ります。適宜、男声のみ、女声のみ、同時に全員などを織り交ぜて変化を付けていき、クライマックスに向けてテンポと音域を高めていきます。シンプルな音使いだからこそ仕掛けが明瞭になり、効果が高くなります。
何度も言っていますが、千原英喜氏は現在の邦人作曲家で今私が最も尊敬する人です。大胆さと芸の細かさ、曲全体の構想と、シンプルかつ効果的な表現が、実に巧妙に織り上げられているのです。
12/5の演奏会では、どこまでうまく表現できるか分かりませんが、精一杯歌わさせて頂きます。
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