2009年9月27日日曜日

オカルトが生まれる背景

オカルトには、それが生まれる背景というのがある気がします。
オーディオの場合、70年代、80年代頃のオーディオに活気があった時代というのが、そのバックボーンではないかと思います。当時はまだデジタルではなく、新製品が出るたびに音質が確実に向上するような時代でした。
高級でバラツキのないコンデンサやコイルが使われれば歪みが減って、SNも良くなり、音も良くなります。レコードプレーヤも、モーターがしっかりしていてターンテーブルが重ければ回転もムラがなくなります。
そんな中で、あらゆるパーツを高品質にし、最上のオーディオ再現空間を作る、ということがオーディオマニアの喜びでありました。お金持ちにとっては、最高の贅沢な趣味であったと思います。

恐らく、そんな高音質オーディオの楽しみをリアルタイムで体験したのは、私よりちょっと上の40代後半から60代くらいの世代。フジの特ダネの某キャスターとか、専用のオーディオルームを持ってることをよく自慢してますね。
今でもオーディオ評論家はこの世代が中心で、逆に私より下の世代で高音質追求型のオーディオ評論家というのはほとんど聞いたことがありません。はっきり言って、今の若い人にとっては、音質が良いということにそこまで拘る心意気のようなものが理解できないのではないでしょうか。

デジタルの時代になって、アナログに変換される直前までは理論的に音質劣化が無くなる時代になっても、まだ当時の体験が身体に染みついている世代には、飽くなき音質追求には終わりが無いと感じているに違いありません。

2009年9月24日木曜日

オーディオというオカルトーあえて波風を立てません

本当はまだまだオーディオのオカルトとしてのネタ、いろいろ出てきそうですが、そろそろこのあたりで話を収束させます。
そもそも、物事をなるべくロジカルに考え、真実を追究することを是としている私にとって、オカルト的なものは総じて容認しがたいものなのですが、オカルトな皆さまはほとんど聞く耳を持たず、たいていの場合話は平行線です。話せばわかる、なんてあり得ません。

だいたいオカルトって、ロジカルに考えてみれば人々の欲望や恐怖の裏返しなんですね。
こうなって欲しいとか、逆にこんなになって欲しくない、ということを人間はついつい想像してしまう。想像したものを形にすると、それに共感を覚える人は必ずいるのです。幽霊とか悪霊とかもそうだし、神様や仏様だって同じこと。
宗教的なことでなくても、納豆を食べれば痩せられるとか、このお酒を飲んでいれば健康でいられるとか、サプリメントや健康食品なども、よくよく考えればかなりオカルトだと思います。でも、こうなって欲しいという欲望を刺激してくれるモノを、我々は無批判に受け入れてしまう傾向があるのでしょう。ある程度、理屈で考えればあり得ないとわかるのに、いったんそう思い込むと他の考えを受け容れなくなってしまうのです。

私のみるところ、オーディオでオカルト的な話を信ずる方は、他のことに関してもややオカルト傾向を持っています。健康食品とか、心霊現象とか、ユダヤ陰謀説とかそういうのが好きなんです。
まあ、そこまでいくと個人の嗜好の問題ですから、もはや私は何も言いません。だって、そういうことに敢えて波風をたてるってのも大人げない感じがしますし・・・

しかし、私はオカルトな皆さんに忠告いたします。
きっとあなたは詐欺のような商売にいつか引っ掛かることでしょう。今でも、無駄な出費をしているかもしれません。賢い消費者でいたいと思うのなら、オカルトに惑わされない知識と思考を持つべきです。消費者庁もそこまで助けてはくれませんから。

2009年9月22日火曜日

オーディオというオカルトー圧縮オーディオ

圧縮オーディオというのは、MP3とかAACとか呼ばれるオーディオ系ファイルのこと。
では、圧縮していないオーディオデータというのはどんな状態のことを言うのでしょう?
CDは全く圧縮されてません。CDのデータ量は一秒あたり、44100(Hz)×16(bit)=705kbit、これがステレオで2倍になり約1.4Mbitの情報量です。この場合、1.4Mbpsと表記します(1秒あたりのbit数)。
これってちょっと前のADSLのスピードくらいでしょうか。

ちなみにMP3では、圧縮率が可変になっていて、割と多く流通しているのが192kbpsとか、128kbpsとかいうデータ。
これってよく考えるとすごくないですか? オリジナルの1/10くらいまでデータを圧縮しても、結構人は普通に音楽として聞けちゃうんです。現在ではMP3、AACもすっかり市民権を得てしまって、ほとんどの人は何の疑いも無く、圧縮オーディオの音を楽しんでいます。
もちろん、こういった圧縮オーディオは非可逆変換ですから、圧縮前のデータに比べて明らかに音は悪くなります。測定すれば歴然と結果は出ますし、今まで私が言及したその他のオーディオ音質劣化の要素に比べればあまりに明白です。レートを下げて慎重に聞いてみれば、かなりの人に音の違いはわかるはずです。

しかし多くの人々にとって、実際に音楽を聞く分にはそれでも構わないのです。逆に、良くもここまでデータを間引いたものだと、そのアルゴリズムにほんとに感心します。
もちろん、圧縮オーディオなんて絶対聞かない、という強者もいるようですが、私から言わせてもらえば、ほとんどの人の「音」の対する感度というのは結局こんな程度のものだと感じます。
私は音の良さに対する人の意識のレベルの低さを嘆いているのではないのです。人間がそれほどセンシティブに感じない領域を重要視しているオーディオマニアのオカルトさが、何とも愚かしく思えてくるのです。

2009年9月19日土曜日

初音ミク ベスト-memories-

Mikumemories初音ミクと聞いて、オタク世界で勝手に盛り上がっている現象と侮ってはいけません。
今までニコ動でたまに聞いていた程度でしたが、結構このベスト盤が売れているということで買ってみました(ちなみにもう一つのベスト盤は買ってません^^;)。
しかし、一通り聞いて思ったのは、もうこれはプロの仕事ですよ~。CD化に際しては多少は再ミキシングやマスタリングなどでオリジナルよりは良くなっている可能性もありますが、それにしても、オリジナルの音楽性の高さもなかなかのものです。普段聞くJ-POPよりももう一段、アレンジや音作りが凝っているし、作曲や詩のセンスもなかなかのもの。作り手の音楽レベルの高さが伺えます。
私もポップスの音楽制作のマネ事をしたこともありますが、これだけのクオリティのものを作れる自信は全くありません。もちろん、趣味で音楽制作をやっていてこれくらいのレベルに達する人もいると思いますが、恐らくこの作り手の中のいくらかはプロとして活動している方もいるのではないかと推察します。

実際、現在のCD不況、音楽産業不況は目を覆うばかりなのです。
CDが売れないから、売れない音楽は作らなくなり、制作が決まってもオリジナル作品の制作費は減らされます。最近はアレンジャーが自宅で作ったカラオケに、歌手が一日スタジオを借りて歌を入れ一枚完成、なんてこともザラです。また、新譜であっても制作費がかからない過去のリマスタリングとか、ベスト盤が増えています。
こういった中で、実際飯を食えているミュージシャンはごく一部で、日頃作曲コンペに提出するために曲を作りつつ、コンビニでバイトしたり、楽器販売店員として生活をしているようなプロミュージシャンはたくさんいます。

こういったワーキングプア的なミュージシャンの中でも十分音楽的な実力があり、クリエイティビティのある人がいても不思議ではありません。そういった人々が、切り詰められた制作費でつまらない要求をするレコード会社相手に仕事をするより、直接賞賛を得られ、音楽的にやりたいことを存分に行える世界のほうが(金銭的対価が無いとしても)魅力的であるのは想像に難くありません。

「初音ミク」現象はまさにそういった状況を反映して現れたものではないかと思うのです。
もちろんオタク的、萌え的な要素で人気が出たのは確かですが、私にはむしろ作り手が「萌え」という市場を意識して作った戦略的な作品のようにさえ思えます。
アーティストがレコード会社やCDショップという中間部分を省いて直接愛好家に音楽を届けることが可能になったことを「初音ミク」が象徴的に成し遂げました。
その後、音楽産業はどうなるのか、個人的にそちらのほうが興味があります。

2009年9月17日木曜日

オーディオというオカルトープラシーボ効果

プラシーボ効果という言葉をご存じでしょうか。
検索してみると、医学関係の記事にヒットします。偽薬効果とも書いてあったりしますが、要するに「これは身体に効きますよ」といって、全く効果の無い薬を処方しても、思い込みで治癒してしまうような現象のことです。まあ、それほど人間の思い込みは強い、ということでもあります。
プラシーボ効果をオーディオという文脈の中で使う場合、逆に悪い印象を表現することが多いように思います。つまり、オーディオ機器の設定を全く何も変えていないのに、「音が良くなるように設定変更しました」と言った後に音を聞かせると、音が良くなったように感じるというような現象です。

これは「○○を変えました」という明確な内容で無くても、周囲で音評価のプロと呼ばれている人が発した言葉とか、世間的に評判の高い評論家の言葉とか、そういう人々の意見に自分の思考が大きく影響させられる状況にも当てはまります。
これは過去に何回か、権威主義的な態度ということで私も話題にしたことがあります。

まあ、グルメの話題とか、日常のたわいのない会話レベルでは、気にするほどのこともありませんが、実際に良い音を求めることを生業としている人にとっては切実な話です。
そしてたちが悪いのは、多くの人が周りの意見に惑わされず、自分の意志できちんと判断しているという根拠の無い自信を持っているということ。しかし私のみるところ、自分も含めプラシーボ効果と無縁で判断するなどというのはあり得ないように思えます。

では、プラシーボ効果を完全に排除するにはどうしたら良いのか?
それはブラインドテストを行うということに尽きます。事前に何の情報を与えずに音を聞かせ、どっちが良いかを問うわけです。オーディオの世界では、ABXテストという手法がよく使われます。
ブラインドテストというと、評価者は自分の感覚を疑われたような気分になるのですが、それに理解を得られるような人でなければ、本来音の評価などやってはいけないのではないでしょうか。
とはいえ、なかなか人間関係の中で、そこまで人を疑うようなやり方をいつも出来ないというのが現実ではあるのですが。

2009年9月14日月曜日

オーディオというオカルトージッター

既に述べたサンプリング周波数、量子化ビットによる音質劣化は、理論的にある程度その効果を理解することができます。そこでオカルト探しの人々はさらなる音質悪化理由を求めて、否定も肯定もしづらい怪しい原因を探し出してきたのです。
それは、ジッター。
オーディオマニアの方なら、ジッターという言葉は聞いたことがあると思います。ジッターというのは、簡単に言えば、デジタルのクロックのヨレみたいなものです。
クロックが乱れていれば、いくらデジタル信号が正しくても、アナログ信号に変換する際に波形が歪んでしまいます。こういった時間軸のヨレは、非線形な波形の歪みを生むことが予想できますが、実際のところどのような音質の悪さになるのか、残念ながら私自身は体感したことがありません。

かなり高精度の機器を使用しても、どうも今ひとつ音像がクリアでないと評価者が感じた場合に、「ジッターのせいかな」というようにこの言葉は使われます。この場合、ハードの担当者がクロック信号の信頼性を強化するような基板修正を行います。
まあ、たいていの場合、基板を修正しても、その前後で音の違いがわかる人はほとんどいないのですが、「音が悪い」と言い出した当の本人が「あ、変わりましたね〜」等というと、関係者はやはりそれが原因だったんだと納得するわけです。
噂では、基板を全く修正せずに持っていって、評価者に「良くなりましたね〜」等と言わせる強者もいるとか・・・。

パソコンを始め、世の中のデジタル機器が凄まじい速さのクロックで動作している現在、サンプリング周波数の44.1kHzなどというクロックは亀のようなノロさであり、それが音質に影響するほどヨレているなんていうことがあり得るのか私には皆目検討が付きません。
ということで、ジッターの話になると、最近はあまり深入りしないように気をつけています。

2009年9月9日水曜日

Place To Be/上原ひろみ

上原ひろみのピアノソロアルバム。
これまでピアノソロというと、どちらかというとメロディアスでしっとりした曲調だったり、コテコテのジャズだったりして、クリエイティブな側面では実はそれほど期待していなかったのです。
しかし、そんな不安も杞憂に終わりました。1曲目からハードで過激な雰囲気(途中までほとんどミニマルちっくな現代音楽)。超早弾きも複雑な変拍子も健在。ピアノソロという単調に陥りやすい音像をものともせず、多面的なピアノ音楽の深みを追求しているのが良く伝わってくるのです。

終曲は矢野顕子がボーカルで参加。(矢野顕子も若い頃の音楽は過激で大変好きなのだけど・・・)
もちろん、しっとりした曲もコテコテの曲もありますが、何しろ他の楽器が無いだけに純度と密度の高い、凝縮された上原ひろみの世界が楽しめます。おまけのDVDも必見!超おススメの一枚です。

2009年9月6日日曜日

オーディオというオカルトー量子化ビット数

サンプリング周波数の次は、量子化ビット数。
CDは16bit。16bitというのは、2の16乗のことなので、数値的には65536段階まで音圧を表現できるということです。
ただこんな数値を言われても、なかなか感覚的に理解できません。そこでdB(デシベル)という単位を利用します。これは音圧を対数にしたものなので、何倍とかいう表現を足し算で記述することが出来ます。
音が2倍になったとき、6dB大きくなったと表現します。4倍になったときは、12dBです。CDは2の16乗なので、この倍々が16回、すなわち6dB×16=96dBということになります。

またまた数値だらけですいません。
すごく単純にいえば、小さな音から大きな音まで(以後、ダイナミックレンジと呼びます)CDは96dBの範囲で入れることができる、ということです。
人間の耳のダイナミックレンジは140dB程度と言われています。これは、例えば無響室(全く音が響かない実験室)で聴く微かな衣擦れの音から、爆音のロックコンサートをスピーカの前で聴いて耳が潰れる寸前のような大音響までの幅が140dBくらいと思えばいいかもしれません。
確かに24bitくらいまであれば140dBのダイナミックレンジが実現しますが、そんな音を鳴らすスピーカはそうそうないし、そんな爆音を自分の家で鳴らしたら近所迷惑。まあ、普通の音楽鑑賞ではそんなダイナミックレンジは必要ありません。
今どきのポップスは、ヘッドホンステレオで聴き易くするため、むしろコンプレッサーでダイナミックレンジを減らす傾向にあり、実は30dB程度で十分鑑賞可能ではないかという気もします。もちろん、あんまりデジタル信号が粗いと量子化ノイズが目立ってしまいますが。

例えば、ピアノのある鍵盤を一つポーンと弾いて、音が消えるまで鍵盤を押さえ続けたとします。被験者に音が完全に消えたというタイミングで手を挙げてもらうと、音が鳴り始めてから消えるまでの音量差は、私の経験的に50〜60dB程度と思います。もちろん無響室で行えば、もっとその数値は高くなるでしょう。しかし、普通に聴く音がそんなに大きくないのであれば、実際に私たちが音楽として必要とするダイナミックレンジは無闇に大きい必要はありません。

だいいち、96dBのダイナミックレンジを正確に再現しようとすればむしろアナログ部品のほうが割高になってしまいます。たいていの機器はそれより低いSN比で、ノイズの方が勝ってしまいます。1万円程度のCDラジカセでは、CDのダイナミックレンジを表現できるほどの音は出ないはずです。
そんなわけで、量子化ビットに関しても、CD以上の品質は必要無いと私は考えています。

2009年9月4日金曜日

オーディオというオカルトー例えばサンプリング周波数

やや技術よりな話になりますがお許しを。
CDはデジタルで音声信号を記録してあり、その能力は44.1kHzのサンプリング周波数と、16bitの量子化ビット数です。
44.1kHzのサンプリング周波数というのは、1秒間を44100回に分解する細かさということです。

サンプリング定理により、44.1kHzのサンプリング周波数に含まれる最大周波数はその半分の22.05kHzになります。
人間の可聴域は20Hz〜20kHzと言われているので、CDのサンプリング周波数はその範囲をカバーしていると言えます。

例えばこれに突っ込みを入れる人もいるのです。
人間は、20kHz以上の音も耳でなく身体で感じている・・・とか。あんた、コウモリですか、と私は言いたい。もちろん、そういうことが皆無だと否定する気はないけれど、少なくとも音楽を楽しむのに必需だとはとても思えません。
しかも、デジタルでなくアナログならそれが再現できている、と言われると、それはあり得ないと突っ込みたくなります。

最近、深夜の公園で若者がたむろっているのを防ぐために、モスキート音を流すという話題がありました。モスキート音はだいたい17kHz付近の音。
人は老化すると高音が聞こえなくなります。20〜30代くらいまでならモスキート音は聞こえるのだけど、それ以上の年齢になると聞こえなくなるのです。
実は、私も最近ショックなことがあって、若い人に聞こえる波形の歪みが聞こえないことがあったのです。ちょっとした発振器で調べると、私も15kHzより上はかなり怪しいことが判明。
それ以来音を聴いて、高音まですっきり再生されていていい音だ、などと偉そうなことが言えなくなりました。
50代以上のオーディオ評論家など、何をか言わんやです。
こんなソフトもありますので皆さんも自分の可聴域を調べてみたらどうでしょう。

結果によっては、オーディオの音がどうだとか、だんだん言う気が無くなってくると思いますよ。

2009年9月3日木曜日

オーディオというオカルト

前からこのネタを書こうと思っていたんですが、多くの人から反発を受けるのを恐れていたのです。もちろん、今でも恐れているわけですが・・・
私は音や音楽について、趣味にも仕事にもしてしまっているのですが、もちろんその中で私自身が追求していることは「いい音」であり、「いい音楽」です。

しかし、オーディオの世界で「いい音」というのはかなり怪しい世界です。
最近だと高音質なCDとか話題になりましたが、材質を良くするだけで音が良くなる、というのは少なくとも私には信じ難い話。いや、ここだけですでに多くの人から突っ込みを受けそうなので、この話は置いときましょう。

あまり大きな声では言えないのだけど、この手の話で仕事で揉めたりすることもあるのです。
プログラムやデータはどうチェックしても悪くないのに、音響の担当からは音が悪くなっていると言われたりすることがある。それで皆で集まって試聴をするのだけど、私には全然違いがわからないのに「ほら、全然違うでしょ」とか言われたりするわけです。

オーディオ的な音の善し悪しを議論するとき、いつもベースとなる土台が不安定な状態で会話しているような気がするのです。何と何を比べて何が悪くなったのか、どんな条件を変えてみたのか、きちんといろんな条件を洗い出して、表にでも書いて原因を追及すれば良いのに「あのときのあの音が良かった」とか言って再現不可能な状況の話をしたり、「こっちのほうが音に暖かみがある」とか言って、音質の違いを音現象の語彙で語らなかったり・・・そんなことばかり。

愚痴を言うつもりではなくて、どうしても人は感性の言葉で音を語りたがる傾向があるのでしょう。
しかし、それがいったん許されてしまうと、音現象を数値で評価するのは大変難しいために、理屈としてはどうしてもあり得ないような、怪しいオカルトがまかり通ってしまうように思います。

2009年9月1日火曜日

絶対美では無く・・・

お客様に喜んでもらう、とはどういうことでしょうか?
もちろん、一般的な意味において誰も否定はしないこととは思いますが、私には多くのアマチュア合唱愛好家は、理想的な絶対美のようなものを信仰していて、それを追い求めることこそ崇高な行為だと思っているように感じられます。
それは果てしなく険しい道です。だからこそ、求めがいもあるとも言えます。
しかし、そうやって追い求めている音像は、理想的であるからこそなお遠く、真理を求める苦行僧がごとく、知らないうちに追い求める行為そのものが目的化してしまうのです。

ほとんどの人にとって、興味の対象は発声です。発声の絶対的な美しさを追い求めることこそが、合唱活動の永遠の課題であるかのようです。
しかし、音楽の多面的な楽しみからすれば、それはわずか一面に過ぎないと私は思います。そのような芸術観の視野の狭さこそが問題では無いでしょうか。

自分の求めていることとお客が求めていることが違うと、お客の音楽的レベルを過小評価することがあります。自分たちが日々練習でやっていることをお客は知らないと思うからです。しかし、それはほとんどの場合、単に需要と供給が成り立っていないのであって、もう少しくだけて言えば、お客様に喜んでもらうような演奏をしていないのだと思います。
では、本当にお客様が楽しいと思うことは何なのか。
一般には、知っている曲を聴くと楽しいと考えると思いますが、これはそんなに単純なものではありません。難しい曲だから、お客様が喜ばないのではなく、その曲の良さを伝えていないからお客様が喜ばないということは無いですか。
お客は実は啓蒙されたがっているのかもしれません。自分の知らない世界の面白さを垣間見せてくれるような演奏をこそ、望んでいるのではないでしょうか。