今、某男声合唱団で練習している木下牧子作曲「いつからか野に立って」の楽譜を読んでみます。
まず曲のマクロ構造は、比較的分かりやすいと思います。
主題は「いつからかのにたって~」のメロディ。これが構造を探るキーポイントになります。
��~20小節が、まず一まとまり。これを[A]としましょう。その後の、21~38小節が、[A']。
ここから、曲調が変わります。39~91小節までが中間部の曲想が激しい部分。これを[B]とします。
最後にまた主題が現れます。92~113小節が、[A"]。つまり全体的には [A]-[A']-[B]-[A"] という感じです。構造的観点から見ると、[A][A'][A"]の類似性を際立たせること、また逆にこの三つの違いを浮き立たせること、が曲作りのポイントになってくると思われます。
さて、この曲、私がイメージしていた従来の木下作品といくらかテーストが変わっているように感じます。ディヴィジョンが極力押さえられていること、ユニゾンが効果的かつさりげなく挿入されていることなど、少人数アカペラを意識しているように感じます。
こういった曲の登場を待っていた男声合唱ファンはたくさんいたことでしょう。最近の邦人男声合唱曲では、久々にヒットの予感です。
また、アカペラ邦人曲ではあまり見ない2/2拍子。これはルネサンス音楽を思わせるビート感で、合唱人的には素直に受け入れられると思います。作曲家は緻密な曲を書こうと思えば思うほど、音符の音価が細かくなるものです。そういった傾向が強まると、結果的に、2/2のような拍子から益々離れていくわけです。
ある程度快活な音楽を2/2で表現したこの曲は、そういった意味でもかなり歌い手のニーズを意識しているように感じます。フレーズもテンポの速さを強調する感じではなく、2分音符によるビート感で大らかに流れるようなメロディを中心に作られています。
アーティキュレーション記号で気になるのは、アクセントとテヌートです。
全体的にアーティキュレーション記号の数も抑えられているのですが、だからこそ、わざわざ書いてある記号には、作曲者の強い意図が込められます。
特に[A][A'][A"]では、主題の類似性を表現するための音楽的な要請によるものと考えられます。(例:4小節「てんの」、24小節「それだと」、94小節「ひだりのては」の三つにはいずれもテヌートがついている)
例外としては、34小節の「くるしみが」にテヌートが付いている部分が挙げられます。
また、同母音を表す以外のスラーの使われ方が、この曲中でたった一箇所、29小節「ゆびさきから」に現れます。この二つには、何らかの解釈が必要になってくるかもしれません。
中間部の作りですが、曲的にはかなりドラマチックな展開になっています。
いくつか面白いところなど。
49小節から始まる「このわたしが」の連呼。各パートが現れる拍の間隔が、3→2→2→2→1→1→1→1となります。なんとなく数理的秩序を楽しむ作曲家の姿勢が垣間見えます。もちろん、こういった書法からは切迫感を表現したいことが伝わります。
57小節は「まさに」「わたしは」「しょうしつ」・・・と高声と低声が交互に歌いながら、dim.が指示されています。これは、私が消失していく様子を音楽的に表現しようとしたものだと思われます。マドリガーレで言うところの音画的手法とでもいいましょうか。
73小節以降の連呼表現は、割と邦人合唱曲の典型的な盛り上がり方と言えるかもしれません。非常に面白いのですが、少人数アカペラ的作曲で進めていた曲調が、ここだけ大人数的になってしまった感があります。
とはいえ、この曲のハイライトシーンであるこの部分の作り方によって、聞く側の印象を大きく変えることになるでしょう。
「いきたい」の後の休符が二分休符→四分休符→八分休符になり、言葉と音楽のビートがずれ出したところが、面白い部分です。ソルフェージュ的な難しさに囚われず、スマートにこの音楽が要求する「魂の叫び」みたいなものを表現したいところです。
その後、「みたしていった」では、和声的な開放感が感じられ、この曲の表現の頂点に達します。
以上、どう歌うべきかでなく、あくまで楽譜に何が書いてあるか、という観点で思うままに書いてみました。
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