またまた、よせばいいのに、専門書シリーズなのです。
ちょっと前に「進化心理学」に関する談話を書きましたが、この進化心理学に興味を持てば、自然とこの有名な本「利己的な遺伝子」を読まずにはいられなくなるのです。
この本、専門書といっても、決して難しい数式や生物学用語などが頻出するようなものではありません。むしろ、専門外の人が読んでも十分わかる範囲の語彙で書かれています。
しかし、とはいってもこの本がわかりやすくて易しい内容という意味ではないのです。この本の理解にはそれなりの思考が要求されます。科学的、社会的、哲学的、様々な方向性の理解力が必要です。はっきり言えば、これは生物学の本とはとても言えないのです。敢えて言うなら、科学の顔を持った新時代の哲学書なのかもしれません。もし、あなたが、世界のあるゆる諸相を知りたいと思うファウスト的人間なら、この本は絶対読むべきです。恐らく、人生観が揺らぎます。
少し前ふりが大げさすぎたでしょうか。
しかし、古来多くの哲学者・宗教家は、人生とは何か?死とは何か?そして、人間とは何か?そうずっと問うてきたのではないでしょうか。
少なくとも、この本にはその答えの一部が書いてあります。無論、人文学的なアプローチではありません。でも私は新時代の宗教、哲学は科学の中にあるのではないかと密かに考えています。だから、この本はやはり哲学書といってもいいのです。
この本で最も重要な主張の一つは、生物がよりよい方向に進化しようとする単位は、種でもなく、また個体でもなく、遺伝子である、ということです。唐突にそう言われても、何のことだかわからないかもしれません。もう少し、別の角度から言えば、生物が進化することは誰のための利益なのか?ということです。
昔は理科の教科書で、「種の保存」なんて言葉を聞いたような気がします。これは、その種が自らの種を保存しようとする意思があるというようなことだったと思いますが、こういった考えをドーキンスは完全に否定します。
この世の生物界にとって、生き残ろうとする意思を持っているのは遺伝子のみであり、その利己的とも言える振る舞いに、生物は完全に服従させられているのです。各生物個体は、遺伝子が生き延びるための単なる乗り物であり、ドーキンスはこれを「生存機械(survival machine)」と呼びます。
そう、我々一人一人も、自分の持っている遺伝子が生き残ろうとするための単なる生存機械です。一見、自分が幸せになるように生きているつもりでも、それは自分の遺伝子が生き残るために、巧妙に仕組んだ仕掛けに従って生きているだけなのです。
こんなことを言うと、遺伝子がまるで何らかの意思を持って自立的に行動をしているかのようです。
もちろん、遺伝子は単なる分子の配列で、それが自分で考えて動いているわけではありません。遺伝子がそのように利己的に振舞っているように見えるのは、全て「自然淘汰(natural selection)」のせいなのです。世の中に必要のない遺伝子を持つ生物は死滅します。結果的に、自然が淘汰することによって、遺伝子が望んでいる方向が決まり、その道筋に遺伝子の意思を感じているだけなのです。しかし、著者はそこから派生する現象を説明しやすくするように、敢えて利己的に振舞う遺伝子、という言い方をしているのです。
しかし、そもそもこの遺伝子とは何か、という疑問がわかないでしょうか?
これは生物とは何か?なぜ生物は生まれたのか?という問いに直結します。
一言で言えば、遺伝子とは自らを複製できる力を持った一つの単位、なのです。これをドーキンスは「自己複製子」と呼びます。
太古の地球では、化学反応により海の中に様々な有機物が漂っていました。この「原始のスープ」の中で、たまたまある分子が、自らを複製できる能力を手に入れたのです。この分子は、あっという間に増えていきます。それまで、いろいろな種類の分子が漂っていた太古のスープに、特定の分子の割合が増えていったのです。
この過程の中で、自己複製子の中でも、違う種類のものが途中で生まれたかもしれません。そうなると、より効率よく複製するほうが割合が増えます。また、自己複製子は自らを守るための壁を持つようになります(細胞壁)。時には、他の自己複製子を破壊するものも現れます。
これが、生物の起源と言われるものの正体です。始まりは、ただのコピーだったのです。「自己複製」これこそが、遺伝子の始まりであり、そして生命の大元であったのです。
目からうろこの連続ですが、これだけでも実はこの本のほんの触りです。
この後、生物の様々な活動がどのように遺伝子の利己性によって説明できるかが書かれています。この中では、ESS(進化的に安定な戦略)というのが非常に興味深く感じました。また、有性生殖における生物行動、個体同士の協力行動など、進化心理学的な内容もたくさん書いてありました。細かいことはここで書くのはやめておきます。内容を知りたい方は是非この本を読んでみてください。
「ミーム」、「囚人のジレンマ」など、小ネタとして使えそうな(ちょっとした教養になりそうな)内容もたくさんあります。
また、著者のドーキンスの文章からは、この遺伝子の話を単なる生物学的なレベルに留めておきたくない野心が垣間見え、まさに思想・哲学の領域まで踏み込んだ本と言っても差し支えないような気がしています。
最終章では、そのような自己複製子が単に自分を増やすのでなく、なぜ、一つの生物個体が作られそれが死滅する、というサイクルを通して自己複製してきたのか、それに対する著者の考えが示されます。無論これも、自然淘汰の賜物なのですが、それでも、生死に関する一つの答えとして、人間には重く響きます。
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