世界中に張り巡らされたセンサーから莫大な情報が一カ所に集められれば、瞬時に様々な解析が行なうことが可能になります。
このような状況が一般的になればなるほど、問われるのはそういう結果をどのように評価するか、という私たちの数値リテラシーではないかと思えます。
そして、そこで要求される数値リテラシーとは、確率とか統計とかという概念を使いこなせるということです。と言っても、いずれも高校で習う程度のものだと思うのですが・・・
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昨今の象徴的な例は、原発事故で一気に身近になった放射線の数値。
もちろん私は放射線や放射性物質についての専門家でも何でもないわけですが、一頃ニュースで散々流れていたおかげで、多くの人が理解するようになったと思います。
ここで出てくるシーベルトという単位ですが、恐らく以下の二つさえ理解できていれば、あとは自力でその脅威を予想できると思われます。
1)シーベルトの千分の一がミリシーベルト、さらにその千分の一がマイクロシーベルト。
2)今扱っている数値が毎時なのか、総量なのか。
これだけ言われれば誰でも「そんなことは分かっている」と言われそうですが、それでも数値を突き付けられると、思考停止してしまう人も多いように思えます。
いちおう理系である技術者でさえ、オカルトまがいの言説を信じて、とんちんかんなことを言う人だっています。
ほんのちょっと数値があるだけでも、放射線があるからコワい、とか言っちゃうわけです。逆に全く状況の違う数値を持ち出して、この数値なら大丈夫だ、などというのも危険ですね。
我々は普通に生きていても放射線を浴びているし、レントゲンを撮れば、一回当たり100マイクロシーベルト被爆してしまいます。
結局総量としてどのくらい浴びると健康に問題が起きるのか、その辺りがある程度想像できれば、こういう数値に対してもう少し適切に判断できるはずです。
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医療関係だとこの手術の成功確率は何%などと聞いたりします。
例えば数万人に一人、みたいな数値を聞いた時、皆さんはどう感じるでしょう。
なかなか想像がつかないと思いますが、私からすればそのくらいの確率だと気を付けて生きても仕方が無い、というくらいの数値です。もちろん実際に、その確率で何らかの障害を持ったり死んでしまったりする人もいるわけですが、このくらいの確率だと、気をつけるコストのほうが大き過ぎると感じます。
具体的な例でいうと、白血病は2万人に一人くらいの確率で発生するそうです。
これはもう統計的にそういう確率を出すことは単純に割り算で出来るわけですが、それを予防するために放射線をなるべく避けたとしても、その努力の結果白血病にならなかったとはとても言い切れません。
ましてや、それが原発のせいだなどというのはほとんど不可能です。あくまで数値は確率の問題であり、個人に発生した原因とは別の問題だからです。
もう一つの例ですが、出産時に乳児が死亡する確率は、現在の日本では1000人中3人くらいだそうです。
私も息子の出産の際には、いろいろな講演などで出産の成功率とか、乳児死亡率とかそういう数値を聞かされて、初めて知りました。
この数値を見るとやや高いようにも思えますが、たかだか30年前で1000人中16人だそうで、そもそも古来お産とは命がけの行為であり、むしろ最近は恐ろしいほどのスピードで安全が高まっているのだとも言えるわけです。
そういう意味では、お産が失敗したということで医師を責めるのは、明確な失敗が無い限り酷なように感じます。もちろん心情的にはそう割り切れないのは確かではありますが。
日本では交通事故で年間5000人ほどの人が死にます。1億人の人口で5000人ということは、2万人に一人は交通事故で死ぬ確率があるということです。
この数値は、自分にとって死亡系の確率の基準になっています。交通事故で死ぬより確率が低いのか高いのか、と考えれば、自分がいつも自動車を運転している行動と結びつきやすく、非常に分かりやすく感じるからです。
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あまり細かいことを言うと私もボロが出そうなので止めますが、毎時どのくらいか、とか何万人に一人か、という数値を自分の中で納得させるリテラシーというのが、必要だと感じます。
これからますます世の中には数値が氾濫すると思います。それは世界中の人々がセンサーを持ち、それをネット上にどんどんアップしていくからです。
その数値は数年前とは比べ物にならないくらい、今後は正確になっていくでしょう。そうなればなるほど、我々の数値を扱うリテラシーがますますクローズアップされていくことになるはずです。
トンチンカンなことを言う人をいさめる気も無いですが、自分だけは冷静に数値を判断できる力を身につけたいものです。
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