簡単に言えば、何が人をやる気にさせるのか?という話なんですが、直接本人に聞いてみればそれがわかる、と考えるのは短絡的でしょう。
例えば、立場の上の人が「どうしたらやる気が起こる?」などと立場の下の人に聞いた時、下の人はどう答えるでしょうか。
人々は、その場で言って差し支えのない話であるとか、上の人も喜ぶような話であるとか、当然そういう妥協点を瞬間にさぐりながら話すわけです。こういうタイミングで上の人を不快にする人は、残念ながら一般的には空気が読めない人と言われます。
そういう意味では、空気が読めない人の意見は意外と大事かもと思ったりもします。
よくこの場でこんなこと言うな、というのは、実は誰の心の中でもちょっとだけ感じていたりすることもあるからです。
だから、「何でも言いたいことがあるなら言って」とみんなに言ったあとで、誰かが発言した内容を否定するのはかなり反則だと思います。そうしてしまえばいずれ誰も率直なことを言ってくれなくなりますから。
自分自身が聞きたくないことに真理が隠されていることもあります。それはなかなか直接対話のなかで拾い出すことは現実難しいのかもしれません。
では、なかなかホンネとして表に出てきにくい、やる気のみなもとって何でしょうか。
私の想像では、「良い仕事で自分の名前が知れ渡ること」は、結構重要ではないかと思っています。しかし実際には、多くの人が心の奥底で望んでいながら、表面的にはそれを求めていないと振る舞ってしまうのではないでしょうか。
時として頑に名前が出ることを固辞する人もいるでしょう。
それは日本人的な美徳の一部ではあるけれど、本当はやはり良い仕事をしたのなら多くの人にそれを知ってもらうのは、本人にとって大きなインセンティブになり得ると私は思います。またそうすれば、本人に対しても良いフィードバックになり、ますます仕事の質は高まると思うのです。
ですから、良い仕事をした人をきちんと把握し、評価し、公開するシステム、というのはとても大事だと私は考えます。
残念ながら、日本的組織ではこの逆のことが横行しがちです。
良く出来たことは一人の功績にせずみんなで分け合うけれど、失敗したことは逐一把握され、公開されてしまいます。それはどう考えても、インセンティブ設計の面から最悪の仕組みのように思えます。
むしろ失敗したこと、悪かったことは、当人に直接伝えるだけで十分で、それを公開してしまえば萎縮のサイクルがどんどん進むのではないでしょうか。
インセンティブ設計の大きな要素として、「良い仕事」をきちんと把握し、それを適切な方法で多くの人が見ることができるという仕組みづくりが挙げられます。
仕組みではなく、そういうことを無意識にやっている(みんなの前で「誰々は良くやってくれた」的な話をする)親分肌的な指導者がよいリーダーと呼ばれることが多いですが、誰もがそういうスーパーな人間にはなれないのですから、組織の仕組みとして形にすることが本来取り組むべきことのように思えます。
インセンティブにはこの他にも、報酬のあたえ方、仕事の配分の仕方、などいろいろな要素があると思います。
この辺りは、また何か思い付いたら書いてみることにします。