2013年11月23日土曜日

インセンティブを設計する

長い間、技術者として仕事していたためか、真実とか、原理原則とか、公平性とか、そういうことを追い求めることこそ大事だと思ってきました。それについては、もちろん今でも正しいことではあると思うのですが、時としてそういう客観的事実だけを声高に主張してもうまく回らない、ということも歳を取るごとに感じます。

集団が大きなパフォーマンスを上げるためには、所属する人々が協力せねばなりません。正しいことを追い求めようとする意志だけでは、人々はなかなか動いてくれません。
ちょっとコワい人がカリスマ的に人を引っ張ることもありますが、能力とカリスマが備わったスゴい人というのはそう多くはないし、そういう人が一種の恐怖政治を行なったあげく、結局外部から批判の的になってしまうようなことは、ニュースでも度々聞かされます。

以前この本を読み、深く共感したのですが、人々が健全に協力し合うためには、「やりたい気持ち」をいかに刺激していくか、が大事だと考えます。
やや過激な言い方をすると、人間はインセンティブの奴隷なのです。その人が楽しいこと、気持ちいいことは何なのかをよくよく観察すれば、人はただ自分の欲望に従って生きているだけに過ぎないことが分かります。

欲望というとマイナスのイメージもあると思います。しかし、欲望というのは単にお金が欲しいとか、好きなものが手に入る、といったことだけでなく、人に感謝されたり誉められたりするという些細なことも含まれます。
イヤなことを回避しようとする気持ちも、一種の欲望です。自分が正しいと思わないやり方であったとしても、指示した人から後で咎められることが精神的な負荷になるのなら、それを回避するために自分の意志を曲げることもあるでしょう。こんなことは誰もが日常茶飯事にやっているはずです。

とはいえ,一人一人の心理は大変複雑だし、自分が考え抜いて良かれと思ってもちっともインセンティブを刺激できなかったりすることも良くあること。
そういう意味で、難しいのはお金の扱いです。
お金は当然人々を動かす大きなインセンティブです。
しかし、お金をいくらあげるからこの仕事をやってくれ、というのはビジネスでは当然だとしても、そうでない場ではむしろ失礼だったり、逆に手を抜かれたりする可能性もあります。むしろ、何かを頼んでやってもらった後に、お礼としてお金を渡すほうがお互い気持ちいいものです。
単純に渡す順番の問題なのに、それだけでそこで生み出されるアウトプットの質が変わってくることもあるのです。

その一方で、プロ野球選手が年俸にこだわったりするのは、その金額がお金の多寡というより自分の評価という側面が強いからでしょう。
そういう場合、金額は強いインセンティブになると思います。

お金にまつわるインセンティブ設計は、いろんな要素があり、なかなか難しいと思います。他人に公開されるのか、そうでないかにもよるでしょう。
1万円前後なのか、100万円単位の話なのかでもずいぶん違うでしょう。

しかし原則は、ある人の仕事をリスペクトしたことがお金でうまく表現できていることなのだと思います。事務仕事的にこなされると、リスペクト感が伴わず、頼まれる側のモチベーションは下がります。
逆に金額が少なくても、きちんとリスペクトしている気持ちが十分伝われば、それは仕事をする側にとって大きなインセンティブになるのではないでしょうか。


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