以前この記事から始めて、何回か私の思う「これから起きること」を想像してみました。
その続きで、「働く」ということがこれから少しずつ変わるのではないか、ということを書いてみようと思います。
というのも、最近この手の働き方を論ずる言説を結構目にすることが多いのです。もっとも私自身が興味があるから、気になるだけかもしれません。しかし、誰しもが働いてお金を得ているわけですから、本来なら全ての人に関係のある話です。
働き方の問題で一つポイントなのは「多様性」というキーワードです。ダイバーシティなどと横文字で書かれることも多いですね。
ビジネスの範囲が広がり、世界を相手にしないと商売が成り立たない時代になってきました。こういう時代には顧客が非常に多様であり、それを理解出来ないととんちんかんな製品やサービスしか出すことが出来ません。
これは単純にマーケットの多様性を理解しろ、ということだけではありません。相手のことを知るなら、相手のことを知っている人を仲間に入れる必要があります。でなければ、発想の違う相手の懐に本当に飛び込むことは無理だからです。
つまり、多様な人々を相手にするということは、自分たちが内部に多様性を取り込むことにも繋がるわけです。
ところが多くの日本企業は、外国人はおろか、女性でさえもきちんと組織の中に取り込むことが出来ていません。
もちろん外国人や女性も今ではいろいろな場所で働いていますが、その絶対数は多くはなく、また発言力も弱いです。常に仕事の周辺に置かれてしまうことが多いように感じます。
これは、外国人、女性だけの問題ではありません。能力があってもややエキセントリックな人たち、あるいは理屈っぽく空気を読めない人たち、アイデアが斬新すぎてすぐに理解されない人たち、こういう人たちが少しずつ排除され、周辺に散らされるようにさえ感じます。
これは一言で言えば、多様性の排除です。
多様性を排除すれば、同じような価値観の人たちでモノゴトを運ぶので、非常に効率的です。わざわざ言葉で言わなくても、きっと相手はこう思うだろう、と勝手に推理するので、コミュニケーションも少なくて済みます。
しかし、これがあちらこちらで仇になっているのです。もう、それではマズいのではないかと、ちらほら気付いている人たちがいるのです。
少なくとも日本企業は多様性を受け入れることを始めないと、世界でビジネスが出来なくなるでしょう。
そのためには、人々のスキルをきちんと精査し、業務のインプット、アウトプットを明確にし、言わなくても分かるだろう的文化を排除しなければいけません。また組織はアウトプットのQ,C,Dははっきりさせても、それを達成するために個人が何時から何時まで働くべきか、ということに口を出さないようにしなければいけません。でなければ、多様な人生を生きる人々を同じ組織の中で働かせることが出来ないからです。
私が言うと、やや生々しいけれど、残業、休日出勤を強要する文化というのは、確実に多様性を排除することに繋がります。なぜなら、人々の生活を会社活動に合わせることを強要しているからです。
多様性を受け入れるということは、部下に夜遅くまで業務をやらせて納期を守らせる、というやり方を止めるということでもあるはずです。
「多様性」という一点だけ見ても、ほとんどの日本の会社の日々の仕事が成り立たなくなるくらい、大きな意識の変化が必要です。
国際的な競争がむしろそのような多様性を強要することになるでしょう。この話は倫理的な側面を持っていますが、実際に企業がそう変わるためには、単純に市場による淘汰しかないと私は思っています。
つまり、多様性を受け入れないと、企業は存続出来なくなるはずなのです。
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