2012年11月12日月曜日

未来の音楽

似たようなことは何度も書いているような気がするけれど、またまた、これからの音楽のことを考えてみます。

何を言いたいかというと、一つは楽器のこと。
音楽を奏でるには楽器が必要です。楽器にも長い歴史がありますが、音楽が世の中に広まるためには、楽器の標準化や音楽を伝達するための手段の標準化が必要でした。
その過程で、楽器や編成が世界中似たものになってきたのがこれまでの歴史。クラシックならオーケストラという単位があるし、ポピュラー音楽ではバンドの編成もだいたい決まっています。

ところが、映像と音が簡単に伝えられるようになって、楽譜のような演奏記号でなくても音楽を伝えられるようになり、またネット上でそれらが蓄積可能となりました。これは結局音楽の標準化の歩みを止めさせ、楽器はむしろ多様性を求めるようになり、一度標準化された編成や演奏記号は逆にこれから段々解体していくのではないかという気がしています。

実際、特殊な楽器を演奏したり、そもそも楽器でないものを楽器として演奏したり、ピアニカや縦笛のようなシンプルな楽器を取り入れたり、というような音楽を聞くことも増えてきました。
これからは、演奏する人が、どんな曲をどんな編成でどんな楽器で弾くのか、そういうことをゼロから考えなければいけない世の中になるのではないかという気がするのです。このような時代にはむしろオリジナル曲だけではなくて、過去の音楽の編曲なども流行ることになるでしょう。

よくナンバーワンよりもオンリーワンで、などと言いますが、まさにそういった状況です。みんながピアノを弾いていれば、その中で優れた演奏家であろうとすると、もうとてつもなく上手でなくてはいけませんでした。ナンバーワンの世界です。
しかし、誰もが違う楽器を弾くようになれば、テクニックそのものよりも、その楽器で何をどんな風に表現していくのか、そういう演奏家のオリジナリティが問われるようになります。それがオンリーワンに繋がります。


もう一つ私が思っているのは、商業音楽が終焉を迎えるのではないかということ。
もちろん、今後もある一定の量でアイドルや有名トップアーティストが商業的に成功することはあると思います。
しかし、音楽はこれからますます多様化の一途をたどり、通常の音楽家はそれだけで飯を食っていくことは不可能になるでしょう。ほとんどの音楽家はアマチュアであり、彼らの名声は売り上げでなく、ネット上の再生回数などで競われるようになっていくと思います。

上記の、楽器の自由、編成の自由、それから商業音楽が無くなっていく、というトレンドは、音楽にとってむしろ良いことだと感じます。
世界中に再び多様な音楽が花開き、オリジナリティを求めるために、さらに音楽家一人一人が多様性を押し広げるような未来。
今の音楽とはまた違うけれど、面白い未来の音楽はすぐ目の前まで来ているのではないかと感じています。

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