2009年11月29日日曜日

IT社会の行く末─タダが普通になる

ITを論ずるときに、技術的なことだけ考えていると片手落ちになるような気がするのです。
ネットが我々にもたらしたことは、技術革新だけでなく、社会の有り様の再定義ではないかと思うからです。
文字も音楽も絵も動画も全てデジタル化可能です。それらは全て、ネットによってほとんど流通コストをかけずに世界中に配信できるようになってしまいました。後は、通信スピードの向上と、どこでも情報をキャッチして楽しめるようなインフラ及び端末の高性能化がさらに進むだけです。

今はまだデジタルコンテンツを売って商売している人たちがいるために、DRM(デジタルの著作権管理技術)のような仕組みが期待されていますが、どうやったって、そういう技術はいつかは破られます。それより、自分の出すコンテンツはタダでいい、とやり始めた人が出てくれば、価格崩壊が起き、いずれなし崩し的にタダで供給する人が増えていくと思います。
結局、享受する側は、タダなのが普通、という感覚になっていく・・・というのが私の想像です。

つい数年前までは、本はなかなかデジタルで置き換わるのに時間がかかるだろうと思っていました。ところがAmazonのKindleが売れているようで、物理メディアの低コストが確立している出版でさえ、遠くない将来デジタル化される気がしてきました。

経済的に何が起きるか、私が想像するにはあまりに門外漢なのですが、文化的に想像できるのは以下のようなことです。
・公的になる境目が無くなったために、アマチュアとプロの境目が不明瞭になる。
・売り上げで作品の価値が決まるのでなく、レコメンドの集積したものが作品の価値になっていく。
結果的に、現在よりも作品の価値が正当に評価されることになるのでは、と私は思います。もちろん、正当に評価されてもお金は入らないわけですが。

2009年11月27日金曜日

ピアノだけの上原ひろみ

今年も恒例の上原ひろみのコンサートに行ってまいりました。
これまでのレポートは、これこれこれ
結局、毎年浜松のコンサートに行ってるし、CDも全部買ってます。単なるミーハーと化しています。

今年のコンサートは、ついにピアノソロ。
ツアーに先立って発売されたCDももちろんピアノソロで、CDの感想でも書きましたが、ピアノ単音色であっても全く飽きが来ないほど音楽のバラエティに富んでいます。
そして、今日のコンサートも素晴らしいの一言。
いつものワイルドさと、圧倒的なテクニックと音量。そして、ピアノの音だけでなくて、上原ひろみの「唸り声」と「足踏み」も派手なパフォーマンスとして満喫いたしました。
PAを使うかどうか、密かに注目していましたが、PAなし。完全ナマです。でも、全然問題無いくらいあの響きすぎるアクト中ホールを切れの良いリズムで満たしていました。
ピアノなのにまるで持続音を出しているような纏わり付くフレージング、アーティキュレーションが本当に素晴らしく、最高級の音楽を楽しませてもらいました。

会場で売られていたピアノスコアも購入。もちろん私には弾けませんが、今後のジャズ的なフレーズのネタ仕込みに活用する予定。

2009年11月26日木曜日

詩はどこへ行ったのか

朝日新聞のオピニオンという紙面に、上のタイトルで谷川俊太郎へのインタビューが書かれていました。
一言一言が大きな共感をもって響いてきます。何が凄いって、1931年生まれのお爺さんが、コスプレとかスラムダンクとかブログとかを語るんですよ。私には文化人だから当然とはとても思えません。谷川氏自身が社会との関わりを大事にし、常に同時代性を追い続けていることの証左に他ならないと思うのです。
だから、この記事全体が最終的には商業主義、金と権力、デジタル化を一見否定しているように見えるのだけれど、それで単に郷愁を刺激されて読み手は安心してはいけない、と感じたのです。
それを一番感じたのは次の一節。

─詩人体質の若者は、現代をどう生きたらいいんでしょう?
「まず、社会的存在として、経済的に自立する道を考えることを勧めます・・・」
谷川氏は社会の中にある詩情を掬い取りたいと思っている。それは世捨て人のような仙人が紡ぐような芸術とは対極にあるものです。

今の時代、ふと気を抜くと簡単に商業主義やデジタル化の波に飲まれてしまいます。
そういう社会を肯定しながらも、敢然と立ち向かい、それらが抱える問題をしっかり認識した上で、折り合いを付けながらも新しい世界観を提示していく・・・それこそが現在の芸術家の果たすべき使命ではないか、とこの記事を見て私は感じたのです。

2009年11月23日月曜日

PD合唱曲に混声合唱曲「富士の高嶺に」追加

子供が出来てから、映画を観るのも本を読むのもなかなか時間がとれなくなり、残念ながら最近は文化的な生活から遠ざかりつつあります。
作曲の方もやや滞り気味なので、この連休で一念発起、一曲アカペラ混声合唱曲を作ってみました。PD合唱曲シリーズにアップします。

万葉集より山部赤人が書いた富士山賛歌の歌に曲を付けました。
今までこういうご当地モノの詩選びを避けてきたところがありましたけれど、静岡県に住んでいて(それに山梨県出身だし)、地元の面々で富士山の歌を歌うことも悪くないなあと思えるようになってきました。(国民文化祭の影響?)
結局4分とやや長い曲になり、すぐ歌えるくらい簡単とは言い難いけれど、何かの折に県内で取り上げられると嬉しいですね。

バッハの曲で「十字架音型」というフィグーラが使われることがありますが、この曲の中に「富士山音型」というのを仕込んでみました。っていうか、あまりに分かり易いのですぐわかるでしょう。
MIDIデータも同時にアップしたので、音を聴きながら楽譜を眺めてみてください。

2009年11月19日木曜日

今年の初演祭り終了!

アンサンブルMoraの演奏会が無事終わりました。
今回初めて詩を書かれた宮本苑生さんとお会いすることができました。本番ではアンサンブルMoraの皆さんに熱のこもった演奏をして頂けました。本当にお疲れ様でした。また今回の演奏会を通じて桑原先生にはいろいろとお世話になりました。

さて、今年は私にとってかつてない数(といっても四つ)の初演がありました。もう一度まとめてみましょう。
2月1日児童合唱のための「しりとりうた」(多治見少年少女合唱団)
8月23日混声合唱組曲「生命の進化の物語」(東北大学混声合唱団)
11月7日混声合唱のための「辞世九首」(ヴォア・ヴェール)
11月17日二群の女声合唱のための組曲「へんしん」(アンサンブルMora)

しかも後ろ三つは私が指揮。ヴォア・ヴェールは当然としても、東北大とアンサンブルMoraについては、指揮者として何度か練習にお邪魔しての初演。他団体と演奏会だけでなく、曲作りの過程まで関わることになって、大変楽しい時間を過ごさせて頂きました。
そのため作曲だけでなく、指揮という仕事の重みについてもいろいろ考えるきっかけになりました。限られた練習回数で何にこだわって音楽を作っていくのか、それが結局指導者としての力量であり、また個性でもあるのでしょう。まだまだ経験は足りないけれど、自分なりの世界観が明瞭になってきた感じがしています。

ということで、関係された皆様方、(まだ早いセリフですが)本年は本当にお世話になりました。あらためて御礼申し上げます。

2009年11月15日日曜日

IT社会の行く末

技術的に可能になったことで、社会との軋轢が生まれることがあります。
特に著作権関係は近年多くの問題を生んでいます。さっきも新聞に書いてあったグーグルの全書籍デジタル化計画とか、東芝の私的録音補償金不払い問題とか・・・。
いずれもIT技術によって、コンテンツの複製と頒布があまりに簡単に出来るようになったことから生まれたことです。そもそもコンピュータというのは、情報を複製するのが得意。一度情報がデジタル化されてしまえば、世界中に張り巡らされたネットワークで世界の隅々まで無料で送り届けることが可能です。
コンテンツビジネスの商慣習が変化しないまま、圧倒的スピードでPCは普及し、ネットワークは発達しました。新しいネットサービスが流行る度にネットのトラフィックは増え、益々通信のインフラは増強されていくでしょう。そうなるに十分な経済的合理性があるからです。

本来、コンテンツホルダー(著作権者)としては、こういった事態を憂うのは当然だと思います。
しかし、それでも私は世の中のIT化は止められないし、それに適合する新しいビジネスモデルを模索するべきだと考えます。
だから、作家団体がグーグルを批判したり、著作権団体がメーカーを批判したりするのは私には後ろ向きの発想に感じます。もちろん、今その収入で飯を食っている人には切実だけれど、数十年後を見据えた大きな議論をするのなら、また結論は違ってくるでしょう。

文学・音楽・絵画・動画などのコンテンツ制作者は今後IT化に対して、もっと戦略的な発想を持つべきです。もちろん、それと同時に社会全体が芸術に対してどのようにお金を払っていくのか、作る側だけでなく享受する側の意識変革も必要なのかもしれません。
いっそのことデジタルコンテンツに税金とかかけれないでしょうかね。水道料金や電気料金みたいに、ネットのトラフィックで払う税金を決定するわけです。そして、税金で集められたお金の一部を、政府がコンテンツの流通に応じて芸術家に分配するっていうのはいかがでしょう。

2009年11月12日木曜日

伊豆演奏旅行記

前々回ご紹介したように、伊豆で開催された国民文化祭に参加しました。久しぶりに合唱ずくめの週末を過ごしました。せっかくですので、簡単にご報告いたしましょう。
土曜日はヴォア・ヴェールの単独ステージ。なぜか体調不良者が続出し、5人落ち状態で本番に臨むことに。もともと曲の内容も決して明るくなかったせいもあり、十分に会場を鳴らせなかったような気がします。お客さんから見ると少々しょぼくれた演奏に聞こえてしまったかも。
私としては、今できるレベルの演奏は何とか出来たかなとは思いますが、今後はもっと根本的に印象深い響きを作っていくべきと感じました。

��日間を通して松下耕さんの委嘱作の練習が何度も行われました。なかなか反応の悪い大人数合唱相手に高いテンションで導いていく松下さんの指導に感心。
作詩をされた山崎佳代子さんから、詩に対する思いを聞けたのは大変良い機会でした。合唱活動をしていると、自分とは決して交わらない世界と交錯することがあります。そういう貴重な体験の一つになりました。
練習中、松下耕さんから「もっと多くの作曲家の方に取り上げてもらって、広く歌われるべき詩です。ね、長谷部さん」と思わずネタにされ、山崎さんとも直接お話などさせて頂いたおかげで、何か来たるべき作品の予感がしてきました・・・後は、作曲の依頼だけです。

今回は自前のステージと、委嘱作の練習のおかげでついに他団体を一つも聴けませんでした。ママさん系が多かったようですが、かなりの高レベルの演奏もあったようですので、ちょっと残念。
国民文化祭自体のあり方にはいろいろ思うところもあるものの、団全体でのバスツアー、大交流会、温泉、と個人的には伊豆旅行を十分満喫してしまったのでした。

2009年11月7日土曜日

iPhoneの「移動ド」アプリ完成!

Movabledoscreenここ数ヶ月作曲もせずに凝っていたのは、iPhoneのアプリ開発。
夏休みにも一度、簡単なアプリを作ったのを紹介しましたが、その次に「移動ド」を習得するためのアプリをしばらく作成していました。
今回はMac上のシミュレータで動かすだけでなく、iTunes Storeで全世界に公開するのが目標でした。いろいろ苦労もありましたが、ようやくこのほど公開にこぎ着けました。
アプリ名は”MovableDo”。移動ドを英語にしただけです。iTunesで私の名前をアルファベットで検索するか、上のアプリ名で検索すればアプリを探すことができます。無料アプリです。iPhoneを持っている方は是非ダウンロードしてみてください。

操作法は簡単。
上のボタンで調を選択し、下のボタンで階名を押せば、楽譜上に音符が現れその音が鳴ります。ちなみに次のバージョンでは、楽譜を触っても音が出るようになります。
シンプルすぎて、何に使うかわからない人もいるかもしれません。基本的には、その調の移動ドの読み替えを示してあげるだけなので、日頃移動ドを実践しようと頑張っている人以外には、あまり面白くないアプリかもしれません。
非常にニッチなところを狙っていますが、移動ドを普及させるためのわずかなきっかけになるのであれば、このアプリを作ったかいがあります。
アプリの使い方や、機能などにご要望があれば、何なりとお寄せください。また、iTunesのレビューにも何か書いてもらえるととても嬉しいです。

2009年11月5日木曜日

国民文化祭の「合唱の祭典」に出演します

11/7,8に伊豆の国市アクシスかつらぎ大ホールで行われる合唱の祭典に参加します。
今回歌うのは、ヴォア・ヴェールの単独ステージとして、拙作「辞世九首」の全曲初演を、そして静岡県内の合同合唱団として松下耕委嘱の「瑠璃色の空の下で」と、混声合唱とオーケストラのためのカンタータ「水脈速み(みおはやみ)」の二作品を演奏します。よく考えれば全部初演ものですね。

「辞世九首」は日本史の9人の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。一つ一つの曲は短く、9曲演奏しても12分程度です。有名な句も多いので、いくつかは知っている方もいると思います。歴史好きなら興味深い作品だと思いますので、お楽しみに。指揮は私。

「水脈速み」は山崎佳代子氏の詩によります。旧ユーゴの内戦を描いた反戦歌とも呼ぶべき内容で、なかなか重いテーマです。合唱表現30号でもこの曲について紹介されています。
この曲をオーケストラ伴奏で200人近い合唱で演奏いたします。指揮は松下耕氏。

同じ静岡県とは言え、伊豆はほとんど遠征と呼んでいい距離。早朝からのバスツアーでしんどい二日間になりそう。