2009年10月19日月曜日

我流、指揮法 ─ 毎回同じ指揮であるべきか?

同じ曲なのに、振る度に指揮が違うってことは悪いことでしょうか?
真面目に考えるほど、この結論を単純に出すことは難しいはずです。振る度に指揮が違うのは、アマチュアの歌い手にとっては一般的に良いことでは無いですが、必ずしも悪いとは言い切れません。では、何が悪くて、何が良いのでしょう?

そもそも合唱の世界で、振る度に指揮が違う、というのはたいていの場合、指揮者の力量欠如が原因と思われます。前回言った、制御している感じの弱い指揮というのは、拍やビートが不明瞭で、そもそも指揮者が作りたい音楽を棒のみで指示出来ていない状態を言っているのですが、結局そういう指揮者の元では、歌い手は指揮者の動きそのものを記憶して歌うようになります。だから、その指揮者がちょっと振り方を変えると、歌い手が混乱してしまうわけです。
逆に、指揮そのものが十分明瞭であれば、振り方が変わったとしても歌い手は付いてくることが出来ます。どの程度なら明瞭か、というのは感じ方が人それぞれでしょうが、指揮が明瞭でないほど、振る度に違う指揮は罪が深いということは確かでしょう。

とは言え、音楽は生モノです。歌うメンバーや場所、時間や天気によってさえ、音楽は変わる可能性があります。そういったライブ感は、演奏者側にもその時にしか出来ないノリを生じさせます。
それを否定してしまうと、音楽そのものが硬直し、柔軟性を欠いたものになります。
であれば、テンポ感やフェルマータの長さ、フレーズのため具合等の指示が、振る度に変わっても良いのではないでしょうか。
もちろん、そういったその場でしか出来ないノリを楽しむことは、その場のノリで適当にやっても問題無いという免罪符であってはならないわけで、そのためには、指揮者も歌い手もそれ相応の技倆が必要です。
振る度に違う、ということを肯定しながらも、他人が付いてこれなければ意味がない、ということを肝に銘じて指揮をしようと思います。

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