先日もさりげなく予約したと書いたのですが、本日iPhone 3Gを手に入れました。
あんまり流行りものに飛びつくのは本意では無いのだけど、自分が携帯端末として望むものをほぼ網羅しているので、早かれ遅かれ買うつもりでいました。そんなわけで、Appleにまたまたお布施です。
8GBモデルの黒。そもそも全部データを持ち運ぼうと思えば16GBだって足りないわけで、どうせセレクトするなら8GBでも良いかなと考えました。
それから、ケースなどの周辺グッズもいろいろ調べています。個人的には洗練された外観を全部覆ってしまうのは野暮ったい気がして、全体を覆うようなケースは買わないつもり。使うときに取り出せるようなポケットタイプのものを探しています。
iPhone購入を機に、Mac上でアドレス管理やスケジュール管理もやってみようかと考えているところ。
メールはどうしたものでしょう。携帯のメールアドレスで使っても良いのだけど、どうせ携帯からメールはほとんど書かないし、G-mailという手もあるかな、などと思ったりしつつまだ思案中。PCのメールをただ持ち歩くだけでも良いかもしれないし・・・。
iPhoneでは、アプリを足せるというのも魅力の一つ。鍵盤を鳴らしたり、メトロノームになったりするアプリでもいろいろ探してみるつもり。
肝心の電話だけど、繋がりにくいという噂なんかもありますが、さて実際のところはどうなんでしょうか。
2008年7月31日木曜日
2008年7月25日金曜日
運命じゃない人
アフタースクールを観た後、この監督の作品が気になって、前作のデビュー作「運命じゃない人」をDVDで鑑賞。
これまた、むちゃくちゃ面白い映画でした。トリッキーで技巧的な構成はこの監督のトレードマークなのですね。涙を流しながら笑いつつも、一つ一つのネタの仕込み方、全体の辻褄のあわせ方に唸らされてばかり。かなり低予算で作られたようですが、脚本の良さと演技の面白さでここまでのクオリティの映画が出来ること自体、日本映画では奇跡的ではないかと思ってしまいます。
ストーリーを紹介しようと思うのだけど、これが難しい。最初はほのぼの恋愛映画かと思わせつつ、中盤からやくざとか出てきて一気にきな臭くなってきます。
構造的には、このストーリーは全部で三つの部分に分かれます。各部分は、全てある一晩の出来事を語っているのだけど、それぞれ別の人物の視点で同じ時間が三回なぞられるのです。
だから、全く同じシーンが何回か現れます。ただ、同じシーンなのに違う人の視点で見ると、全く違う様相を帯びてきます。三人目の部分になると、「えー、あのときあそこで・・・だったの!」とか、「実はこのとき・・・だったんだ」とか驚きの連続。
もう、技巧的の一言。わりと無名な役者ばかりなんだけど、それぞれの演技がまたうまい。そう思わせるだけのリアルな脚本なのかもしれません。
どうも、私はこういった練りに練った技巧的で、細かいところまで辻褄が合っている論理性をベースに持っている作品とかが好きなんですね。だけど、そういう作品って、技術的なだけでなく、気持ちの落としどころとか、ちょっと心に残る部分とか、情緒的な部分も決しておざなりにはしていないように思うのです。
これまた、むちゃくちゃ面白い映画でした。トリッキーで技巧的な構成はこの監督のトレードマークなのですね。涙を流しながら笑いつつも、一つ一つのネタの仕込み方、全体の辻褄のあわせ方に唸らされてばかり。かなり低予算で作られたようですが、脚本の良さと演技の面白さでここまでのクオリティの映画が出来ること自体、日本映画では奇跡的ではないかと思ってしまいます。
ストーリーを紹介しようと思うのだけど、これが難しい。最初はほのぼの恋愛映画かと思わせつつ、中盤からやくざとか出てきて一気にきな臭くなってきます。
構造的には、このストーリーは全部で三つの部分に分かれます。各部分は、全てある一晩の出来事を語っているのだけど、それぞれ別の人物の視点で同じ時間が三回なぞられるのです。
だから、全く同じシーンが何回か現れます。ただ、同じシーンなのに違う人の視点で見ると、全く違う様相を帯びてきます。三人目の部分になると、「えー、あのときあそこで・・・だったの!」とか、「実はこのとき・・・だったんだ」とか驚きの連続。
もう、技巧的の一言。わりと無名な役者ばかりなんだけど、それぞれの演技がまたうまい。そう思わせるだけのリアルな脚本なのかもしれません。
どうも、私はこういった練りに練った技巧的で、細かいところまで辻褄が合っている論理性をベースに持っている作品とかが好きなんですね。だけど、そういう作品って、技術的なだけでなく、気持ちの落としどころとか、ちょっと心に残る部分とか、情緒的な部分も決しておざなりにはしていないように思うのです。
2008年7月20日日曜日
Macでのお気に入り
��ヶ月ほど前にiMacを買ったことは既に書いた通り。その間Windowsでやっていたことを徐々にMacに移してきましたが、最近ついにEメールをMacにコンバートしました。
Outlook Express からMacの"Mail"へのコンバートは、直接は出来ないのだけど、一度中間フォーマットとしてUNIX系の.mbxファイルに変換する、という方法があることを知りました。早く知っていれば、すぐにでもやってたのに・・・。
そんなわけで音楽系は全て、E-mailとWeb閲覧はほぼMacで作業しています。今、WindowsでやっているのはOffice系、画像スキャン、オーディオ録音、ホームページのHTML編集といったところ。細かいところはまだまだWinが必要だけど、日常的なことはほぼMacで足りるようになってきました。
それはともかく、Macで今ちょっとしたお気に入りになっているのは、Word of the Day というスクリーンセーバー。これは標準で入っているものの一つなのだけど、結構観ていて飽きないし勉強になります。
どんなものかというと、海底のような青い背景の中に、単語が現れ、国語辞典のようにその単語の読みと意味が現れるというモノ。この言葉が毎日違っていて、しかもやけに古めの(自然に関する)言葉ばかり。古き良き日本語を厳選するというコンセプトが、(アメリカ製の)Macなのにも関わらず心憎く感じます。
ますますMac派になっている今日この頃なのです。(実は iPhone 3G も予約してしまった)
Outlook Express からMacの"Mail"へのコンバートは、直接は出来ないのだけど、一度中間フォーマットとしてUNIX系の.mbxファイルに変換する、という方法があることを知りました。早く知っていれば、すぐにでもやってたのに・・・。
そんなわけで音楽系は全て、E-mailとWeb閲覧はほぼMacで作業しています。今、WindowsでやっているのはOffice系、画像スキャン、オーディオ録音、ホームページのHTML編集といったところ。細かいところはまだまだWinが必要だけど、日常的なことはほぼMacで足りるようになってきました。
それはともかく、Macで今ちょっとしたお気に入りになっているのは、Word of the Day というスクリーンセーバー。これは標準で入っているものの一つなのだけど、結構観ていて飽きないし勉強になります。
どんなものかというと、海底のような青い背景の中に、単語が現れ、国語辞典のようにその単語の読みと意味が現れるというモノ。この言葉が毎日違っていて、しかもやけに古めの(自然に関する)言葉ばかり。古き良き日本語を厳選するというコンセプトが、(アメリカ製の)Macなのにも関わらず心憎く感じます。
ますますMac派になっている今日この頃なのです。(実は iPhone 3G も予約してしまった)
2008年7月14日月曜日
芸術論〜人々は何を芸術に求めるのか?
人々は何を芸術に求めるのか?
もちろんこんな大層なことを、学術的にきちんと論じようとすれば、全ての芸術や宗教や哲学などを総括するような、大変な論文になってしまいます。なので、あくまでシンプルに私の思いつきの考えを書き連ねてみましょう。
私の思うのは以下の三つです。
1.人々は芸術に刺激を求める
2.人々は芸術に新しい精神的な体験を求める
3.人々は芸術に共感を求める
刺激というのは、簡単に言えば、日常と違うこと、そしてその違いに驚くこと。普段聴くことの無いような大音響はもちろん刺激だし、迫力のある映像、極彩色の映像、思いもつかない言葉の組み合わせ、常識を外れた行動、等等。何しろ、刺激とは普段とは違う何かです。
人間というのは本当に不合理な生き物です。生きるだけならおとなしく食べ物だけ食べていればいいのに、なぜ好奇心なんてものがあるのでしょう。いつも何か刺激が無いと生きていく活力が得られないのですね。お祭りのような非日常的な空間を作るのもその証拠のように思えます。
しかし、この刺激というのは一種の微分係数のようなもので、一度刺激を与えたモノを連続して与え続けると、それに慣れてしまい刺激で無くなってしまいます。さらに別の新しい刺激を人々は欲するようになるのです。
新しい精神的な体験とは何か?
例えば、宇宙旅行をしたり、古い王国の王様になったり、異国を放浪する旅人になったり、私たちは芸術を鑑賞することによって、普段の生活で得られない出来事を擬似的に体験します(した気になります)。小説、映画、演劇、オペラなどなど、ストーリー性のある芸術作品では、観客は自分自身を主人公に投影して、その世界観に没入し、そして主人公の心情を擬似的に体験したような気になり、それが気分を高揚させます。
最後の共感ですが、もちろん上記のような精神的体験から共感を得ることもあるでしょう。
しかし、もう一つこの共感を広義に捉えるなら、作品の中に自分の考えと共通する部分を見つけ、それを一緒に鑑賞する人と共有することによって、その思想をより強固なものにしていこうとする心境とでも言ったらいいでしょうか。
誰しも、自分と同じ考えを持った人がいるのは大変嬉しいことです。共感とは簡単に言えば、ある種の仲間意識のようなものです。自分と精神的に共通している誰かがいる、ということが自身が生きることに大きな安心を与えてくれるのです。
ということで芸術に求めるものについて、刺激、体験、共感、という三つのキーワードを提案してみました。
もちろんこんな大層なことを、学術的にきちんと論じようとすれば、全ての芸術や宗教や哲学などを総括するような、大変な論文になってしまいます。なので、あくまでシンプルに私の思いつきの考えを書き連ねてみましょう。
私の思うのは以下の三つです。
1.人々は芸術に刺激を求める
2.人々は芸術に新しい精神的な体験を求める
3.人々は芸術に共感を求める
刺激というのは、簡単に言えば、日常と違うこと、そしてその違いに驚くこと。普段聴くことの無いような大音響はもちろん刺激だし、迫力のある映像、極彩色の映像、思いもつかない言葉の組み合わせ、常識を外れた行動、等等。何しろ、刺激とは普段とは違う何かです。
人間というのは本当に不合理な生き物です。生きるだけならおとなしく食べ物だけ食べていればいいのに、なぜ好奇心なんてものがあるのでしょう。いつも何か刺激が無いと生きていく活力が得られないのですね。お祭りのような非日常的な空間を作るのもその証拠のように思えます。
しかし、この刺激というのは一種の微分係数のようなもので、一度刺激を与えたモノを連続して与え続けると、それに慣れてしまい刺激で無くなってしまいます。さらに別の新しい刺激を人々は欲するようになるのです。
新しい精神的な体験とは何か?
例えば、宇宙旅行をしたり、古い王国の王様になったり、異国を放浪する旅人になったり、私たちは芸術を鑑賞することによって、普段の生活で得られない出来事を擬似的に体験します(した気になります)。小説、映画、演劇、オペラなどなど、ストーリー性のある芸術作品では、観客は自分自身を主人公に投影して、その世界観に没入し、そして主人公の心情を擬似的に体験したような気になり、それが気分を高揚させます。
最後の共感ですが、もちろん上記のような精神的体験から共感を得ることもあるでしょう。
しかし、もう一つこの共感を広義に捉えるなら、作品の中に自分の考えと共通する部分を見つけ、それを一緒に鑑賞する人と共有することによって、その思想をより強固なものにしていこうとする心境とでも言ったらいいでしょうか。
誰しも、自分と同じ考えを持った人がいるのは大変嬉しいことです。共感とは簡単に言えば、ある種の仲間意識のようなものです。自分と精神的に共通している誰かがいる、ということが自身が生きることに大きな安心を与えてくれるのです。
ということで芸術に求めるものについて、刺激、体験、共感、という三つのキーワードを提案してみました。
2008年7月10日木曜日
アフタースクール
内田けんじ監督の非常にトリッキーなストーリーを持った映画を観ました。
基本的に途中からのどんでん返しがこの映画の魅力なので、ネタバレを書いてしまうわけにはいきませんが、本当に騙されました。これは面白い。
映画だからこそできるトリックです。この系譜としては、「シックスセンス」なんかが代表的ですが、あれはあくまで最後でのどんでん返し。ストーリの中盤から、あれ、あれ、どうなってるのー?と何度も頭を捻らせながら観るのは新鮮な体験。しかも、後々考えてみると、前半の仕掛けに思わず唸らされてしまいます。
最近、邦画でも脚本がしっかりしていて、さらに観る者を驚かせるような作家性の高い映画が増えてきました。三谷幸喜モノはもちろんのこと、去年の「キサラギ」なんかもそういった感じの映画。
ようやくハリウッド映画の面白さに近づいてきた感じです。もちろん、未だにぐだぐだな脚本なのにアイドルを使ってヒットしてしまう映画もたくさんありますけど、こういった映画が注目を集めるようになって嬉しい限り。
芸術性というと、どうしてもシリアスさや格調高さ(文芸風というような)に向かいがちだけど、エンターテインメントを極めながら練りに練った技巧的な内容で楽しませることも芸術性の一つとして評価されるべきだと私は思います。
基本的に途中からのどんでん返しがこの映画の魅力なので、ネタバレを書いてしまうわけにはいきませんが、本当に騙されました。これは面白い。
映画だからこそできるトリックです。この系譜としては、「シックスセンス」なんかが代表的ですが、あれはあくまで最後でのどんでん返し。ストーリの中盤から、あれ、あれ、どうなってるのー?と何度も頭を捻らせながら観るのは新鮮な体験。しかも、後々考えてみると、前半の仕掛けに思わず唸らされてしまいます。
最近、邦画でも脚本がしっかりしていて、さらに観る者を驚かせるような作家性の高い映画が増えてきました。三谷幸喜モノはもちろんのこと、去年の「キサラギ」なんかもそういった感じの映画。
ようやくハリウッド映画の面白さに近づいてきた感じです。もちろん、未だにぐだぐだな脚本なのにアイドルを使ってヒットしてしまう映画もたくさんありますけど、こういった映画が注目を集めるようになって嬉しい限り。
芸術性というと、どうしてもシリアスさや格調高さ(文芸風というような)に向かいがちだけど、エンターテインメントを極めながら練りに練った技巧的な内容で楽しませることも芸術性の一つとして評価されるべきだと私は思います。
2008年7月6日日曜日
YouTubeに器楽曲をアップ、再び
早速、新音源を用いて曲を作ってみました。どんなすごいもんだろう、とあまり期待されると困るのだけど、今回はその曲の紹介をしましょう。
曲は、ここのところ作曲していなかった「仮想楽器のためのアンサンブル」を、久しぶりに作曲。
編成はいつも通りの5声の仮想楽器、形式もまたまた変奏曲です。今回のポイントは、いくつかポピュラー風のリズムを用いて変奏しているというところ。クラシックっぽい雰囲気とは離れますが、より聞きやすい音楽になっていると思います。
最初にしっかり考え設計した上で書き始めていたこれまでの書き方に比べると、今回はかなり行き当たりばったりで作り上げた感じ。作曲の取り組み方自体にも、いろいろバリエーションがあっても良いと思い、あえてそんな感じでやってみました。
そして一月ほど前に作ったその曲を、早速先日入手した新音源で作ってみました。
今回は木管のアンサンブル。フルート、イングリッシュホルン、クラリネット、バスクラリネット、バスーンの5声です。
もともと、YouTubeはモノラルになってしまうので、音そのものは決して良くはないですが、それでも少しはリアルな音色になったのがわかるでしょうか。今回はエフェクトもかけず、HSOの素の音のままで作ってます。
ただ、この音源、特定のノート、ベロシティでノイズが載るときがありますね(例えば2分27秒付近のフルート)。今回はそのまま録音してしまいましたが、元々そういう品質だとすると、ちょっと残念な感じ。
もちろん、まだまだ私のDTM技術が足りないのか、バランスや表情付けもちょっといまひとつの部分もありますので、今後ともいろいろ研究してみるつもりです。
曲は、ここのところ作曲していなかった「仮想楽器のためのアンサンブル」を、久しぶりに作曲。
編成はいつも通りの5声の仮想楽器、形式もまたまた変奏曲です。今回のポイントは、いくつかポピュラー風のリズムを用いて変奏しているというところ。クラシックっぽい雰囲気とは離れますが、より聞きやすい音楽になっていると思います。
最初にしっかり考え設計した上で書き始めていたこれまでの書き方に比べると、今回はかなり行き当たりばったりで作り上げた感じ。作曲の取り組み方自体にも、いろいろバリエーションがあっても良いと思い、あえてそんな感じでやってみました。
そして一月ほど前に作ったその曲を、早速先日入手した新音源で作ってみました。
今回は木管のアンサンブル。フルート、イングリッシュホルン、クラリネット、バスクラリネット、バスーンの5声です。
もともと、YouTubeはモノラルになってしまうので、音そのものは決して良くはないですが、それでも少しはリアルな音色になったのがわかるでしょうか。今回はエフェクトもかけず、HSOの素の音のままで作ってます。
ただ、この音源、特定のノート、ベロシティでノイズが載るときがありますね(例えば2分27秒付近のフルート)。今回はそのまま録音してしまいましたが、元々そういう品質だとすると、ちょっと残念な感じ。
もちろん、まだまだ私のDTM技術が足りないのか、バランスや表情付けもちょっといまひとつの部分もありますので、今後ともいろいろ研究してみるつもりです。
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