テレビで激しく宣伝している三谷幸喜監督の最新映画。前回の三谷作品の感想はコチラ。
相変わらずの笑いのセンスに、今回も涙を流しながら笑っていました。本当に楽しめます。これがフジテレビ製作ってのがクヤシいくらいです。
三谷作品の場合、やはりどうしても芸術論的な話をしたくなってしまいます。
というのは、本質的に日本の芸術に欠けているものをこの人はふんだんに持っているような気がするからです。
今回は、特にその人工的とも言える世界観が非常に印象に残りました。時代設定もあやふやにしてしまうようなレトロな街並み。そこにいる人たちも、衣装や雰囲気がレトロ。だけど、時代背景はやはり現代なんですね。
古きギャングの話にリアリティを持たせるために、セットや美術まで含めて全部ゼロから作り上げてしまう、そういう細部にわたる世界観をきちんと作り上げるだけの溢れんばかりのクリエイティヴィティがあります。今の日本の映画では本当に珍しいことです。
思うに、三谷幸喜の凄さというのは「想像力の正確さ」なのだと思います。
誰しも学生時代などにちょっとした寸劇をやったり、舞台で何か踊ったりしたような経験があると思います。演出などを自分たちで考えていると、そのときはスゴいいいアイデアだと思ったのに、いざやってみると、かなりすべっていたり、あまり評判が良くなかったり・・・。なんか、合唱団のサムい演出を思い出してしまいます・・・。
モノを作り上げる、創造する、という行為には、作り上げたらどうなるのかと「想像」することがどうしても必要です。頭の中で思い描いた「想像」が独りよがりのものでなく、誰が見ても納得できるようなものになっていたか、そして製作側が意図していた通りに受け取ってもらえたのかが大事なのであり、そこまできちんと製作段階で読み切る想像力こそが、クリエーターとしての重要な資質に思えます。
そういう意味で、この映画、非常に複雑なシチュエーションが設定され、その虚構の中で繰り広げられる台詞の一つ一つが非常に精度が高く練られていて、その想像力に舌を巻きます。思いもよらぬ展開に観客はただただ三谷的想像力ワールドのジェットコースターに乗って振り回され続けます。
卓越した人間観察力、そして事態の先を読む力、それがこの想像力の正確さをより高めています。
想像するだけなら誰でも出来る。問題はその正確さ、質の高さということなのです。
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