2006年12月24日日曜日

邦人曲の特殊性-日本語の縛り

どの言語でも、言語によるメロディへの縛りというのが存在するはずです。
そういう意味では、日本語だけの問題ではないのですが、それでも日本語がメロディに与える影響は、他言語に比べても非常に大きいのではないかという気がします。この話、昔から繰り返し書いている内容でもあります。例えば、これとかこれ
そういうわけで多少重複しますが、改めて日本語の特殊性を挙げてみると:
・高低アクセントの言語なので、メロディに言葉のイントネーションが反映されないと気持ち悪い。
・促音「っ」、撥音「ん、む等」が、一つの音符を要求する。(モーラと呼ばれる単位がビートの基準)
・一単語の音節数が多い。
といった点があると思います。
これらはいずれも、日本語をメロディに載せる際に大きな影響を与える要素です。音楽の重要な要素であるメロディが日本語の影響を受ける以上、外国曲とメロディのフィーリングの違いが出てくることは避けられないことでしょう。
もちろん、それは他言語の曲を歌う醍醐味の一つとなり得ます。フランス語の曲は、やはりフランス語の影響を受けているし、マジャール語の曲は、マジャール語の影響を受けているわけです。それは言語のアイデンティティであり、否定すべきことでは決してありません。

しかし、音楽的要求と言語的要求の対立は、作曲においても演奏においても良くあること。そんなとき、日本語を大事にする、という気持ちが強すぎると、音楽全体にとりとめのない印象をもたらすような気がします。
日本人であっても、合唱であろうとなんであろうと、やはり音楽をまず聞きたいのであって、そこから目を背けると、結局閉鎖的な価値観に閉じこもってしまい、合唱関係者以外を寄せ付けない演奏になってしまうのではないでしょうか。

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