表題、椎名林檎の6年前のアルバム「勝訴ストリップ」の中の「弁解ドビュッシー」という曲の一節。なんだか、妙に記憶に残る面白いセンテンスです。
それにしても、「勝訴ストリップ」とか「弁解ドビュッシー」とか、へんてこな語彙に溢れる林檎世界は相変わらず。「弁解ドビュッシー」は曲全体が確かに弁解調ではあるけれど、なんでドビュッシーなのよ、と私は問いたい。
とにかく、歌を作ることを椎名林檎風に表現すれば「どうせあたしの人生語呂合わせなんだもん」ということなのです。詩を書くというのは一見衝動的な表現のように見えて、やはり芸術を語る者ならそれなりに思慮を重ね、頭をひねって、意識の上で計算高く行うものだと感じているはず。内から湧き出る原石のような言葉を整理し、ある規制の中でそれを選別していく作業。それはまさに言葉を操るということであり、もう一段くだけて言うなら「語呂合わせ」ということなのでしょう。
この一節、弁解のように見えて、一生歌を作り続ける覚悟を語っているようにも思えるなかなか含蓄のあるセリフだなと、感じています。まさに詩の技法(アルス・ポエティカ)です。
0 件のコメント:
コメントを投稿