前この題で話(ここ)を書いた後、合唱団のことをほとんど書いてないことに気付きました。
だいたい、前のとき鼓童のことをなぜ書いたかというと、彼の音楽もさることながら、その活動方法に驚いたからです。
彼らはほとんど毎日を、同じ楽団員と一緒に生活しているようなものです。一年の 2/3 は演奏ツアー。残りは佐渡島で、次のツアーに向けての練習です。もちろん、そういう形で興行として成り立っているから、というのもありますが、しかしそれを実現させたのも彼ら自身の力のはずです。
一般的なクラシックの演奏なら、一部の超有名演奏家以外は演奏で食べていけるわけはないので、副業を持ったりしなければなりません。副業を持てば、同じメンバーでの練習時間は減ります。
例えば、プロ合唱団を作ることを考えた場合、その合唱団に所属するだけで食べていけなければ、アマチュア合唱団の指導とか、個人の演奏活動とか、他の団体にも所属するとか、声楽の先生になるとか、そういう副業をせざるを得ないものと思われます。(かなり勝手な想像ではありますが)
結局のところ、そういった別の活動をしなければいけないから、合唱団に関わる時間が少なくなります。一緒に練習する時間が少なければ、それは演奏の質になって現れます。そうなると、耳の肥えた聴衆からは批判の声が増えてしまうわけです。
それで私は思うのです、ならば、もっと毎日のように練習するようなプロ合唱団というのはあり得ないものかと。ある程度、声楽的な資質を持った人が長時間一緒に練習すれば、パート内で音色も揃ってくるだろし、団全体のグルーブ感も出てくるでしょう。そして、もっと自由自在な表現が可能になったりしないでしょうか。そう考えると、佐渡島のような田舎にこもるというのは、一つのやり方なんだなと思うのです。ここなら、他の活動なんてやりようがないですから。
以前、某プロ合唱団の演奏会で、本当に本番前に数回しか合わせてないような演奏を聞いて、残念に思ったことがあるのです。ルネサンス曲で恐らく音取りも簡単だったというのもありますが、音楽がほとんど練られていないのは聞いていてよくわかりました。スケジュール的に厳しい、という事実もあるでしょうが、これでは人の心を打つ個性的な団体には永遠になれないでしょう。
確かに、寝ても醒めても同じ人たちと一緒にいて、そういうメンバーでアンサンブル団体を作ろうというのは、プロっぽくない発想かもしれません。しかし、新しいタイプの合唱団を作って、合唱のイメージを変えるようなグループを作ろうと思ったら、そのくらいの気合は必要だと思います。
アマチュアの世界でさえ、イベント型合唱団や、自治体の村おこし的オケ付き合唱演奏会の単発型合唱のほうが気楽に参加できていい、という人もいるのですから、これでは中々演奏の質は上がらないわけです。当たり前のことですが、時間がかかっても同じメンバーで(もちろん遅刻・欠席なし)長い練習時間をかけることが良い合唱を作る条件だと私は思います。それが実際には、ほとんど実現されていないのです。
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