2004年8月9日月曜日

変なオペラ 魔笛

今日、浜松市民オペラの公演でモーツァルトのオペラ魔笛の演奏会に行ってきました。
ちなみに、浜松市民オペラの前回の話はこちら。ここ2回は、創作オペラということで個人的にも興味があったので見に行ったのですが、今回は特に魔笛に惹かれたというわけではなく、妻が役をもらって出演しているので見に来いという指令が出たので?応援がてら見にいったというわけです。ちなみに妻の役は「第一の少年」でした。
合唱団やオーケストラなど知り合いも多く、そういう意味では楽しみながら聞かせていただきました。主要キャストは、実力派の歌手を揃えたのか、どの役もなかなか上手で、地方で開催されるオペラとしてはそれなりにレベルが高かったような気がします。しかも、どの役も声質、体格、演技などのバランスが絶妙で、それぞれはまり役だったのではないでしょうか。笑いを取る部分の演技も良かったと思います。
舞台全体は比較的セットが少なく、シンプルな感じです。演出全体は市民オペラということもあり過激なものではありませんが、舞台のシンプルさはなかなかのセンスを感じました。場の後ろに度々現れる三角形は、このオペラ全体で意識されている「3」という数字に由来しているものだと思われます。木のシルエットが、椰子の木に見えたのは、この舞台が南国であるという設定なのでしょうか。と思ってパンフを見たらエジプト・・・

それにしても、この魔笛というオペラは、良く言われるように本当に変なストーリーですね。
まず基本的にストーリーが破綻してます。どうも最初に予定していたストーリーを製作途中で変えたという話もあるらしい。しかも、その変えたストーリーと言うのが秘密結社フリーメーソンの教義に基づくものになっているわけです。
それが、実際にオペラを見ていると、新興宗教にはまってしまったようななんとも怪しい雰囲気です。ああいう風に見せられて、ザラストロが偉大な人物に見えるでしょうかね。あれじゃ、教祖様じゃないですか。
それに細かい部分も、何かその場その場が面白ければいいという感じで作られた感じで、なんだか筋が通っていません。そもそも三人の少年は何者なのか?パパゲーノは結局、試練を乗り越えたのか?乗り越えてないのならなんでハッピーになれるのか?それに、与えられた試練って結構ちゃちいなあ。死んでしまうかもしれないとか脅していたくせに、笛を吹きながらドアから入って出てくるだけじゃないですか。
あと全体を覆う女性蔑視的な表現もなかなか笑えます。女というのは、男を誘惑し徳のある人間になるのを妨げるとでも言いたげなフレーズがありました。その割には、タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナが結ばれてそれなりに祝福されてしまったりします。この辺りは、時代背景もありますし、単純には言えない部分ではありますが。

まあ、いろいろと突っ込みを入れても、もはやこの作品はそんなレベルで語るような存在ではないというのが一般の正しい認識でしょう。
モーツァルトが死ぬ年に書かれた最後のオペラであり、レクイエムと平行で書かれており、街のしがない興行師などとなぜ手を組んだのか、といったような晩年のモーツァルトに関わる謎とこのオペラが密接に繋がっているということが、人々の関心の元になっているのだと推察します。それほど、つまりモーツァルトは偉大だということなのです。恐らく、オペラ単体の魅力というよりは、モーツァルトが書いたという属性によって有名になったオペラなのではないでしょうか。
もちろん、ここで書かれているモーツァルトの音楽は一級品には違いありません。それぞれの立場の人が、それぞれの気持ちを同時に歌うような重唱の場面は、さすがモーツァルト!という感じがします。

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