MIDIでデータを打ち込むとき、楽譜どおりのタイミングで入力されただけでは、どうしても機械っぽい演奏になることは避けられません。これをいかに音楽的にしていくかを考えることは、私たちが音楽的だと思う音楽とはいったいどのように演奏されるのか、を考えることに他なりません。
例えば、8ビートのリズムでハイハットが「チッチッ・・・」と1小節あたり8回刻んでいるとします。全ての音を同じ音量で打ち込むと、もうまさに機械的なノリになってしまうわけです。このとき各音のヴェロシティ値を「強弱中弱強弱中弱」という感じでばらけさせてみます。すると、かなり人が演奏した雰囲気が出てきます。
楽譜どおりのタイミングで打ち込んでも、音量制御をするだけでかなり音楽的にはなってくるのですが、クラシックのようなアゴーギグの激しい音楽の場合、やはりタイミングもずらしてあげないと不自然な感じにはなってしまいます。
以前も書いたような6/8拍子のリズム感の例もありますし、メロディパートならかなり大胆な制御をしてあげた方がよいでしょう。
いっぽう、アマチュア演奏家にとって最も切実な音楽的スキルは楽譜どおりに演奏するということです。
特にテンポが速くて音符が多いようなパッセージでは、メトロノームを使うなどして、何度も何度も練習します。(合唱の人も、こういう努力が必要だと常々思うのですが・・・)
演奏レベルがそれほど高くない人は、テンポ感も一定ではないし、そもそも楽譜どおりの音を出すことにも難儀します。レベルの差の程度はあれ、実際には世の多くの演奏愛好家は、いかに楽譜どおりに弾けるか、ということが大きな関心事だと想像します。
音楽的な演奏というものを考えるときに、MIDI打ち込み時のアプローチと、自分が演奏するときのアプローチはいわば、全く別方向のベクトルを持っていると私は思うのです。
そういう意味で、この両方を体験することは、音楽の真実を極めようとする人にとって非常に有用ではないでしょうか。
実際のところ、音楽的な演奏を研究するためにMIDIの打ち込みをやっている人というのは聞いたことはありませんが、仕事柄、ものすごく凝りに凝ったMIDIデータを見ることもあり、その中身を見ると、音量、タイミングだけでなく、ピッチベンドによるピッチのブレの表現なども入っていて、びっくりすることもあります。一般的には、仕事でもなくそんなデータを作ること自体、オタクな世界の話で、健全な音楽活動とは思われないフシはありますが、それでもこういう作業は決して無意味なことではないと思うのです。
音楽の世界ではどうしても曖昧で主観的な評価がまかり通ってしまいます。
これはこれで仕方のないことではありますが、どこか心の片隅で、音楽の良さを客観的に評価したい、という気持ちも存在します。そのためには、人間らしい演奏のブレとは何なのか、そういうことを学術的に扱うようなことがもっとあってもいいような気もしますが、それは音楽の神秘性を剥ぎ取るような行為にもつながり、演奏家、評論家にとってはそれほど嬉しいことでもないのかもしれません。
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