突き詰めれば、面白い発想とか、素晴らしい技術とか、想いが伝わる話し方とか、人々を感心させるようなことは全て個人の力によるものです。
組織が良いパフォーマンスをするために、「誰がやっても上手くいく」ような仕組みを考えるのか、能力のある個人を適切に処遇し配置するのか、二通りの考え方があるように思います。
そして、時代は明らかに後者を指向しているにも関わらず、多くの日本的な組織はタテマエとして前者を指向しています。
「誰がやっても上手くいく」ような仕組みというのは一つの理想です。
いわゆる属人性の排除ということなのですが、それは実際には難しいことも誰もが理解しています。それでも、いろいろなタテマエを積み重ねると、そうであらねばならないというように誰もが考えてしまいます。
ISO9001みたいに、仕事のやり方をきっちりと規定しましょう、というルールを作ることによって、個人のやり方や能力に依存しない組織を作ろうという取り組みをしているところも多いでしょう。
しかし、ISO9001の導入で、書類が増え、監査もせねばならず、多くの人が書類仕事に振り回されるようになると、これが本当に会社のために良いことなのだろうか、と心の中で疑問を持っている人は多いです。
そもそもこういうルールはパフォーマンスの高い組織を作るために考え出されたものなのに、ルールの枠組みをしっかりしようとするほどパフォーマンスは低くなってしまい、結果的に本来のルールの意図とかけ離れてしまっているわけです。
同様な例として、ソフトウェア開発においてはプログラムを単に書くだけでなく、設計やテストの必要性が叫ばれています。しかし設計のやり方やテストのやり方を厳格に規定すればするほど、ますます多くの時間が取られ、それが本当に効率的な開発の方法なのか、疑問を感じることも出てきます。
とこのように考えると、こういった仕事のルール化の目的は属人性の排除では無いのではないか、という疑いをしてみる必要があります。
残念ながら、個人の能力には大きな差がありますし、人によって得手不得手も違います。そういった人々の能力がどんどん均質化し、誰がやっても同じように出来る、ということを理想とするならば、個人はどこまでもスーパーマン的な人間でなければいけません。
もちろん、そんなことは不可能なので、不可能な目標に向かってただ「頑張る」ことにしかならないわけです。
これが結果的に仕事の非効率性を生みます。
私の思うに、本来仕事のルール化は必要最小限度であるべきで、適用範囲が明確であることが重要です。
つまり、ルール化はパフォーマンスの低くなりがちな部分を下支えすれば十分であり、むしろパフォーマンスの高いところにまで影響を与えるようなルール設計をしてはいけない、と私は考えます。
残念ながら、多くの組織はルール化そのものが自己目的化してしまい、組織運営層は担当者に丸投げして、ウチはちゃんとルールを作っているよ、と言っているに過ぎません。
本来、ルール化は運営者が目指す組織を作るためのツールであり、トップが明確な意志を持ってルール化の方向性を決断しなければなりません。その辺りをきちんと理解しない限り、無駄なルールがどんどん増えていってしまいます。
じゃあ,どうしたら良いのでしょう?
ルールには現場に合わせた柔軟性が必要です。
まず大きな原則や汎用的な内容を一番上の階層で規定します。その大枠に合わせて、その下部組織はルールをもう一段階実務に合わせ込みます。
一度に全ての部署に適用するようながんじがらめのルールを作るのでなく、各部署がその現場に合わせた最適なルールであるべきなのです。
それは別の言い方をすると、現場に(各部署に)権限を与えることです。このような権限委譲を明確に設計することによって、組織はより効率化するように思います。
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