音楽が前衛的、実験的になるほど、先の展開が読めなくなり、予測不能度は高くなります。音楽は、一般の人々にとって予測可能であることが気持ち良さにつながるという前提をすると、予測不能な音楽に対する嫌悪感をうまく表現できることになるわけです。つまり、次に何が来るか分からない不安、これこそが現代音楽が一般的になり得ない理由ではないか、ということです。これが、前回書いた内容の骨子。
この話を発展させるために、そもそも、予測可能ってどんな状態を言うのか、これが問題です。
恐らく、人によってかなりイメージが異なっているように感じます。そこで、まず具体的に私のイメージを紹介してみます。
よく音楽の要素として、メロディ、ハーモニー、リズムの三つが挙げられますが、私は最も予測可能度に影響するのはリズムだと考えています。テンポ、およびリズムの種類が一定であることが、恐らく音楽の予測可能度を最も高くする方法ではないでしょうか。
次は、メロディの要素。これは例えば、メロディの中でどの音価が支配的か、あるいは急激なメロディの音程跳躍がないか、大きなメロディの流れの中に小さな繰り返しの要素があるか、といったことが影響すると思われます。当然、音価に統一性がなく、跳躍もたくさんあって、メロディ内に繰り返しが少ない、といった場合、予測可能度が低くなってくるでしょう。
最後にハーモニーの要素。一つにはメロディとも絡んできますが、調性感といったものが挙げられるでしょう。次に、典型的な和音展開かどうか、といったところでしょうか。当然ながら、調性が一定で、和音展開も常識の範囲を超えないほど予測可能度は高くなります。
ハーモニーの要素がそれほど重要ではないのは、音楽全体を見据えたとき、それほど本質的なものと思えないからです。我々が親しんでいる和音というのはせいぜいここ300年くらいの西洋音楽に由来するものです。しかし、音楽にとって、メロディやリズムというのは、非常に根源的な音楽のアイデンティティに根ざしているような気がします。
それからもう一つ大事なのは、芸術音楽として、予測可能度が高いことが大事なのではなく、ほど良い予測可能度を持っていることが重要だということです。
もし、あまりに予測可能度が高いと、音楽に従事している人にとっては変化の乏しい退屈な音楽に感じられるでしょう。従って、芸術性が高いものほど、予測可能度は低くなる方向に向かうと考えられます。
しかし、それにも限度というものがあるだろう、というのが私の考えなのです。その限度をどこに引くべきか、それこそが今の作曲家に課せられた重要な課題であるように思えるのです。
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