2004年11月24日水曜日

興行としての全国大会

松山で開催された合唱コンクール全国大会に行ってきました。
ここ2年、合唱コンクール全国大会は近場だったので聞きに行ってみたわけですが、今年は観光も兼ねるということにして、頑張って四国まで渡ることにしました。コンクールの後、月曜、火曜としまなみ海道を観光して、さっき帰ってきたところです。実は、私、今回生まれて初めて四国に行きました。^^;

さて、例年ですと、選曲や演奏の印象、各団体などの感想などを書くわけですが、三年連続で聴衆として全国大会を聴いているうちに、なんだかこの大会自体を客観的な目で見るようになってしまいました。
正直言うと、全国大会って出場者じゃないと面白くないんですよね。参加する人が一番面白いように、全ての仕組みが出来ているんです。今年は知り合いも多い浜松合唱団が全国大会に出場したこともあって、かなりの知り合いが会場にいたのですが、そのせいもあって余計そう思うのかもしれません。
出場者も、観客なんかほとんど意識していない。意識するのは審査員です。コンクールは、出場者と審査員で完結していて、単に見に行った聴衆はかやの外のようなそんな気がするのです。
今年はアクセスのあまり良くない松山というせいもあったのか、初日の午前中は観客も超まばら。すごい寂しいです。これがこの大会を目指して全国からツワモノが集まってくる場所なのか、とても疑問を感じます。確かに、松山ということでなくても、これまでも会場が熱気ムンムンだったということは少なかったように思います、審査発表時以外は・・・。
そもそも、これだけの団体数がところてん方式で、入れ替わり立ち代りひたすら演奏を続けるというのは、どう考えても聴衆にとって優しい環境とは思えません。それは取りも直さず、出演者主体でスケジュールが組んであるからであり、出場者と審査員の都合でしか考えていないことの証拠でしょう。ただ、こういう突っ込みを入れ始めると、全国大会というシステム自体を否定することになり兼ねないので、これ以上言っても仕方のないことではありますが。
もちろん、じゃあ出ればいいじゃない、という突っ込みはあるでしょう。残念ながら私にはその機会はありそうにないですが。(朝日作曲賞の表彰台にはまた立ちたいですけど・・・^^;。今年はいいとこまでいったのですけどね)

今月の頭に、吹奏楽の全国大会の様子をテレビ番組で特集していたのを見た人もいると思います。(所ジョージ司会の番組)
高校生が毎日のように鬼のような特訓を受けつつ、コンクール全国大会目指して日々頑張っているというスポ根的ノリで、さわやかな感動を誘うような番組構成になっているわけです。恐らく、多くの人が好感を持ってあの番組を見たのではないでしょうか。
私も、学生の頃、こんなに一途に打ち込めるなんて羨ましいなんて思う気持ちもあったのは確かですが、それでもなお、甲子園的ノリで勝ち抜きで音楽の優劣を競うために、各高校が血眼になっている様を見て、何か歪んだものを感じてしまったのです。
以前も、聴衆不在のお稽古系音楽ジャンルの談話を書きましたが、こういった全国大会のあり方が、その方向を助長しているように思えます。もっと、聴衆を増やす方法を、どんな興行であっても考えるべきではないかと、私は思います。

さて、演奏の方ですが、個人的には一般Aでは、ゾリステン・アンサンブル、会津混声合唱団、アンサンブルVine が、そして一般Bでは、なにわコラリアーズ がお気に入りでした。特に、なにわコラリアーズの印象は圧倒的で、もう、かっこいい!の一言しか出ません。
個人的には、アンサンブルが少し破綻してもハリハリ系の声で押してしまうような演奏にはあまり共感を感じないのですが、のきなみそういう団体が金賞を受賞する傾向があるのが、今ひとつ面白くありません。私としては、鳴りが弱くても、指揮者がアンサンブルをきちんと統制し、しかも曲の面白さを彫り深く表現するような知的な演奏が好きです。(まあ、それもあくまで私が判断して、ということですが)


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