はっきりいって無茶苦茶泣けました。
監督のティム・バートンといえば、バットマンなどが有名。実は、バットマンは私の結構好きな映画で、どうもこの監督の作品とは波長が合いそうです。SF、ファンタジー的なストーリーが必ず基調になるという点、そして独特のユーモアセンスが特徴的な感じがします。
この映画、従来のこの監督の作品とは系列が異なるように思えますが、とんでもない、バリバリのファンタジー作品です。しかし、微妙に現実とファンタジーが交錯しているところがこの作品の独特のところかもしれません。
筋を簡単に紹介しましょう。
ホラ話が大好きな父さん(エドワード)と絶交状態にある息子(ウィル)が、父の危篤の報を聞いて、久しぶりに父のもとに帰ります。二人は再会しますが、相変わらずホラ話が大好きな父。
そして、実際、映画のほとんどの話は父のホラ話が中心になっていきます。故郷の英雄になる父。不思議な街での経験。母(サンドラ)との出会いとプロポーズ、そして結婚。軍隊時代の冒険、セールスマン時代の冒険談など。
父と息子の確執は続き、息子は父の話の一体どこまでが本当なのか疑念を持ちますが、ついに父の最期のとき、あれほどホラ話を嫌っていた息子が、今までの父のホラ話をまとめて、逆に父にホラ話を語るのです。
何しろ、次から次へと出てくるエドワードの冒険談がとても面白い。ある種、ハチャメチャな展開ともいえるのですが、それがストーリーをシュールにさせ、ますますファンタジーの度合いを深めていきます。
個人的には、何回か出てくる詩人役がとても面白かった。過去に名を成した詩人と、不思議な街で出会うのですが、そのとき詩人が書いていた詩のあまりの幼稚さが笑えます。しかも、その詩人、銀行で再会したとき、「今、何の仕事してるの?」と聞くと「銀行強盗さ」といって、いきなり銃を出す、そのナンセンスさ。そして、エドワードはその銀行強盗をいきなり手助けする羽目に。
一つ一つのエピソードに、必ずひねりの効いたユーモアが現れ、そのセンスに非常に共感を感じます。
そして、感動するのは、何といってもラストシーンのウィルのホラ話です。
その伏線は、エドワードが小さいとき魔女に自分の死に様を教えてもらったが、その死に様自体は誰にも話したことがない、という形で張ってあります。
一体その話を、いつエドワードがしてくれるのか期待しているうちに、エドワードは危篤になってしまうわけです。そして、エドワードの死に様のホラ話を息子ウィルがすることによって、ホラ話が大好きだった父の生き様を、ウィルはようやく肯定できるようになるわけです。
そして、そのホラ話の中では、これまでの登場人物がエドワードを川で出迎え、そしてウィルによって川に流されたエドワードは「大きな魚」に変身して、川の中に消えていきます。
・・・・うーん、やられた!という感じ。この大きな魚は、映画冒頭のエピソードで出てくるのですが、あんまりにもファンタジーな、きれいなラストじゃないですか。各エピソードの中に出てきた、登場人物全てが、エドワードの最期に集まるというのも泣けてきますね。
そんなわけで、すっかり私はこの映画に、はめられてしまったわけです。
最近、談話で映画の時間軸上の構造の話などしましたが、やっぱり、いい映画はしっかりした構造を持っているなあ、とあらためて実感。ファンタジーだから何でもアリ、で設定をメチャメチャには絶対しません。細かいところだけど、前にあった同じ場所のシーンの中で同じ小ネタが使われていたりとか、後々重要になる事柄を最初の方でわざと強調した映像にする、といったような構造的な仕組みがキチンと出来ているのです。
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