特に考えがまとまっているわけではないけれど、、、もうちょっと思いついたことを書いてみる。
未だ、ハイエクは読書中。といっても原著ではなくて、新書でハイエクの思想を紹介している本。言っていることは一貫していて、ひたすら計画的に経済を回すことは、特定の人を利することになり、社会は良くならないということ。
福祉でさえ必要最小限にし、期間も限定にしないと簡単に既得権益化してしまう。そのように公的にもらうお金は、その職種、業界を独り立ち出来ないようにさせ、結果的に消費者のためにならない。
全くもって納得なんだけれど、最近の世の中の論調をみる限り、全く逆の方向に人々の思いは向かっているように見える。
新自由主義が格差を招き、多くの人が貧乏になった。だからお金のある企業や個人からきちんと税金を徴収し、それを分配すべきだと。また、行きすぎた資本主義を見直すべきだと。人々が儲けを求める限り、過剰な生産や消費が止まらないと。そして、それが限りある地球資源を無駄にすることに繋がると。
ところが、そのような競争を否定するほど、ハイエクの主張とは逆の方向性に向かい、計画経済を思考するようになる。
私はむしろ逆に、今は市場経済性がまだまだ足りないようにさえ思える。もっと一人一人が儲かる方向に行動すれば良いのにと思うことは結構ある。
もう一つ思うのは、私企業は市場の中で利益を追い求める主体ではあるけれど、企業という法人にとって市場経済的に振る舞っても、その企業内で働く人々は、集団の中では全く市場経済的には振る舞うことが出来ない。むしろ、そこには軍隊的な決定論的な行動規範が人を縛っている。
海外ならば、労働市場がもう少し開かれているが、日本ではとても市場とは言い難い。これが本当に市場になれば、日本の労働環境もだいぶ変わってくると思うのだけれど、もうこれは何か、日本中が談合して労働市場を大きくしないようにしているとしか思えない。
市場経済が、個々人の目で見た時に、一消費者の立場だけでなく、生産者の立場としても成り立つような感じが必要なのではないかと思う。
そして、その考えを進めれば進めるほど、大きな組織は解体され、個々人がプロジェクト的に離合集散を繰り返すといった世の中になっていくことになる。
これぞハイエクのいう、自由な社会そのものではないだろうか。