でも、きちんと業務を仕分けすれば、リモートで出来ることは意外と多いような気がする。
Twitterにもちょっと書いた。
体育会系かそうじゃないかは、コミュニケーションコストをどう見積もり方で分かる。体育会系は、低く見積もりすぎ。「そんなことすぐに聞きに行け」と言われても、実は多くの人が誰にも聞かずに一人で悩んでる。— 長谷部雅彦 (@hasebems) April 4, 2020
その辺のギャップの差が、日本的な組織の闇なのかなと思う。コロナ禍でコミュニケーションコストが等しく高くなり、体育会系強引コミュニケーションが取りにくくなって、ようやくそれに気がついた。— 長谷部雅彦 (@hasebems) April 4, 2020
仕事が出来るとか、出来ないとかを、コミュニケーションのやり方に求める感覚は、すごい体育会系っぽい。
私も何となく、そういう感覚をもっていたし、それはある面間違いではないのだけれど、その意識が日本では強すぎるのだと思う。
まさにハイコンテキストな仕事のやり方であって、空気が読めなければ、ダメなやつと思われてしまう。個人の個別の能力をきちんと評価してくれない。
コロナでリモートワークが増えてきたとき、コミュニケーションコストは等しく増える。
だから、リアルに会っていたときにコミュニケーションに苦労していた人の相対的立場はむしろ良くなることだろう。
とてもいいことだから、コロナが収束しても、是非その感覚は残って欲しいものだ。
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そういえば某氏と話していて、ちょっと気づかされたことがある。
明らかに若手の方が残業が少ないし、業務に対するコミットメントが低く感じられる。
これは、我々のような古い製造業の現場でどこでも起きていることのような気がしてきた。それに彼らは、簡単に辞めてしまう。
もはや、上から圧力をかけて、残業をさせるなんていうことは、不可能な状況になりつつあるのだ。これもいいことだ。
でもこんな時代に、もう50代なんてちょっと悲しい。