一度、会社のダメなところを挙げておきたい。そうすれば、少なくとも会社の何にコミットすべきかを判断できる。
山口氏の本でなるほど、と思ったのは、会社内は資本主義ではなく、社会主義だということ。それでもスケールメリットがあったから会社が成り立っている。
今の会社の大きな問題は、意思決定のあり方だ。
意思決定のコストが本当にダメダメ。創業社長ならまだ意思決定は早い。しかし、大企業はすでに官僚的な体勢が出来上がってしまい、意思決定の根拠がないと社員が納得しない。だから、文句が出ないようにどんどんルールが厳格になっていき、そのルールに振り回されているうちに、意思決定に掛かるコストが膨大になっていく。
そこに日本独特の無責任体勢が加わり、意思決定が誰の責任でもないようにする仕組みがさらに追加される。稟議のような合議体勢だったり、意思というよりは単なる許可だったり。それならその権限を降ろせよと言いたい。
もう一つは、山口氏も言っていたモチベーションの問題。
徹底的に効率を追求すると、業務分担は細かくなり、さらに無駄が排除される。全体を知る人がいなくなり、そもそもこの仕事を達成したいと思う強力なモチベーションの源が消えてしまう。リーダーでさえ、やらされ仕事だ。
いくら業務を効率化しても、モチベーション不在の業務の質は低く、むしろ生産性は上がらないだろう。何といっても圧倒的にスピード感が違ってしまう。
それから垂直統合を進めたことによる非効率性。
むしろ昔はこれが完全に逆だった。全て自前で持つから、自分たちの事業に最適な形にカスタマイズすることでどんどん効率が高まっていた。
ところが、IT化は汎用性をすごい勢いで進め、気がつくと自己最適化されたシステムより、汎用システムのほうが使いやすく、効率も良かったりする事態が発生している。
大きなことが悪い方に作用していることが多くなっている。
それから、その閉鎖性。
オープンな会社もあるにはあるだろうが、昔ながらの大企業は非常に閉鎖的。
プロダクトベースの事業が多いので、開発情報は秘密にしたいし、そのテクノロジーも公開すべきではないという考えが一般的。
プラットフォーム事業であれば、秘密であるより公開した方が良い場合が多いし、GAFAMもむしろOpenSource化している。
まあ、これは会社のダメなところというより、古い考え方に縛られているだけで、世の流れが分かっている会社ならきちんとやれているのだろう。
そういう意味では、日本の会社のダメなところ、という括りだと、さらにいろいろな面があぶりだせる。
既に日本企業は目先の利益にしかリソースを投入できないマインドになっている。
創業社長でないと、長期的な視野で投資することができない。なぜなら、長期政権がほとんど不可能だからせいぜい3年以内くらいに利益が出ないと、簡単に事業は終わってしまう。
人材が流動化しないのも悪いところ。
人が動かなければ活性化しない。しかし、終身雇用を是としてきた日本企業にそれを望むのはほとんど不可能だろう。
2019年10月13日日曜日
2019年10月12日土曜日
アート主義への現実的な変化
理想社会というものは永遠に訪れない。
社会はいつも理想に対して道半ばの状態でしか存在し得ない。そして、理想へのベクトルは時代によって変わっていくから、つまるところ、理想には永遠にならないのである。
なので、アート主義の理想的な社会を語っても、それは永遠に訪れない。
であるなら、不完全ながらもどのようにアート主義な社会に移行していくのか、現実的な変化についてもっと語るべきであろう。
山口周氏の本を読んだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07SSY4LJ9/ref=ppx_yo_dt_b_d_asin_title_o00?ie=UTF8&psc=1
基本的には、ほぼ私の気持ち通りの内容で、そこをうまく言語化してくれたのが心地良いし、氏の博学さや説明のうまさに対して、とても好感がもてた。
やや、煽り過ぎの面もあるから、そこはある程度差し引いて読んだとしても、アート主義的な考えとはほぼ方向性はシンクロしている。
私が会社で感じる違和感をほぼオールドタイプと断定し、忌み嫌っているのは笑えるが、とはいえ、今の会社のやり方を全面的に否定するのは現時点では難しいだろう。
なので、やはり現実的な変化、を考える必要がある。
おそらく、一匹狼で生きていける人が増えるはずだし、そういった人々が活躍出来るフィールドが増えるはずだ。でなければ、アート主義には全く移行できない。
まずは一匹狼は、既存の大企業から仕事を請け負う形で飯を食うしかない。だから、彼らはそれなりに、人格者でなければならない。古巣から仕事をもらいつつ、顔を広げていって、人のつながりで仕事をもらっていくパターンだ。
その一方で、アイデアでヒット作を出し、ネームバリューを上げる人も出てくるだろう。請負からだんだんと、ヒット作型への移行が始まっていく。これはそう簡単な流れではないけれど、ここが描けないとアート主義への移行は始まらない。
請負からヒット作型への移行のためには、ヒット作を出す人が、とりあえず現状の資本主義の中でお金を得る必要がある。
その仕組みには
寄付はかなり可能性は高い。
一人一ヶ月100円払ったとすると、1000人で10万円。うーん、まだ苦しいかな。
1000円払わせるのは、まだ厳しい。500円を100人で5万円・・・
もう少しかもね。
社会はいつも理想に対して道半ばの状態でしか存在し得ない。そして、理想へのベクトルは時代によって変わっていくから、つまるところ、理想には永遠にならないのである。
なので、アート主義の理想的な社会を語っても、それは永遠に訪れない。
であるなら、不完全ながらもどのようにアート主義な社会に移行していくのか、現実的な変化についてもっと語るべきであろう。
山口周氏の本を読んだ。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07SSY4LJ9/ref=ppx_yo_dt_b_d_asin_title_o00?ie=UTF8&psc=1
基本的には、ほぼ私の気持ち通りの内容で、そこをうまく言語化してくれたのが心地良いし、氏の博学さや説明のうまさに対して、とても好感がもてた。
やや、煽り過ぎの面もあるから、そこはある程度差し引いて読んだとしても、アート主義的な考えとはほぼ方向性はシンクロしている。
私が会社で感じる違和感をほぼオールドタイプと断定し、忌み嫌っているのは笑えるが、とはいえ、今の会社のやり方を全面的に否定するのは現時点では難しいだろう。
なので、やはり現実的な変化、を考える必要がある。
おそらく、一匹狼で生きていける人が増えるはずだし、そういった人々が活躍出来るフィールドが増えるはずだ。でなければ、アート主義には全く移行できない。
まずは一匹狼は、既存の大企業から仕事を請け負う形で飯を食うしかない。だから、彼らはそれなりに、人格者でなければならない。古巣から仕事をもらいつつ、顔を広げていって、人のつながりで仕事をもらっていくパターンだ。
その一方で、アイデアでヒット作を出し、ネームバリューを上げる人も出てくるだろう。請負からだんだんと、ヒット作型への移行が始まっていく。これはそう簡単な流れではないけれど、ここが描けないとアート主義への移行は始まらない。
請負からヒット作型への移行のためには、ヒット作を出す人が、とりあえず現状の資本主義の中でお金を得る必要がある。
その仕組みには
- プロダクトそのものから収入を得る
- パトロンからお金を得る
- 不特定多数から寄付を得る
- 請負の仕事を半分混ぜる
といった方法が考えられる。
いずれにしてもまだまだハードルは高い。
パトロンや寄付が立ち上がるのが理想だ。それこそ、信用の数値化といった世界観に繋がるし、ひとまずはリアルなお金を通すとしても、いずれお金が無くなる布石にはなりそう。
寄付はかなり可能性は高い。
一人一ヶ月100円払ったとすると、1000人で10万円。うーん、まだ苦しいかな。
1000円払わせるのは、まだ厳しい。500円を100人で5万円・・・
もう少しかもね。
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