会社経営の指標としてのBS, PLが個人の指標に変わっていくのではないか、と思っている。
BSをストック、PLをフローと言い換えよう。
フローは日々のお金の出入り。
ストックは個人がそれまで集めた信用の指標となる。
お金は法定通貨から仮想通貨、そして時間通貨に変化していく。
時間通貨とは、例えば平均的な人が1時間働いて生み出す価値を100timeとすると、それが1時間で何万になる人もいれば、一桁の人も出てくる。
1timeの価値がどのように安定するのかは難しい問題だけれど、社会全体のスキルが上がれば、1timeの価値も上がっていくのかもしれない。
その一方、限界費用ゼロ社会への移行により、「モノ」の値段は極端に下がり(場合によってはほぼゼロになり)、人が生み出す価値とは、行為そのものとなっていく。
つまり、今はモノやサービスを作ってそれを人に与えて対価を得る、という考えだが、モノやサービスを与えたのはあくまで行為の結果であり、行為そのものから対価を得る、という感覚になっていく。
ストックが低い人は、行為の結果からしか価値の創造が測れないので、結果的にモノやサービスの質で対価を得る形になるが、ストックが上がっていくと、人々はその行為に期待するようになる。未来の行為に期待する気持ちは、投資や寄付という形で支援するようになる。つまり、ストックが高ければ高いほど、その可能性だけで事前に通貨を得られるようになる。
例えば、何か日用品を買うとき、ストックの低い人は、時間通貨でそれを買う。
しかし、ストックの高い人は投資、あるいは寄付という形で、通貨を支払わずに得ることが出来る。
貨幣の意味が変わるのだ。
お金持ちは高いものが買える人という感覚から、ストックの多い人はお金を払わずにものやサービスを得られる人になる。それだけその人の価値が高いから。
つまり、お金とは個人の信用力を表す尺度となる。
高価なモノやサービス、そのものが無くなる。これまで高価だったものは、ストックの多寡で手に入れられるかどうかが決まるようになる。
ストックはフローの結果ではあるけれど、単位系が同じではないのかもしれない。
フローはtime通貨によるものだけれど、ストックとは、1時間あたりのtime値、つまり株価のようなものになる。電気で言えば、フローはクーロンで、ストックはアンペア。
ストックなのにフローの微分値という感じ。
しかもストックには負債という概念は無くなる。
人にtimeを与える場合、その人のストック値に応じて1日あるいは1ヶ月単位の最大値が決まる。例えば、普通の人は2万timeを与えられる(使える)が、ストック値の高い人は100万timeを人に与えられる。
ただ、それは与えなかったから貯まるものではない。最大使用料のようなもの。通信の最大パケット数のようなもの。
ストックを微分値で表すために、我々には資産をどんどん貯めていきたいという価値観が無くなっていく。
常に今の行為に対して、time値が入ったり出たりし、その人の時間あたりのtime値がストック値として保持されるのみだ。