2015年9月21日月曜日

Yamaguchi Mini Maker Faire 2015に出展しました

Yamaguchi Mini Maker Faire(YMMF) 2015 に出展しました。場所は山口市の情報芸術センターYCAMという場所。
芸術センターというだけあって、建物の形もちょっと変わっています。


私の出展スペースはこんな感じ。今回は一人での参加なので、それほど展示物も多くありません。
内容はいつものMagicFluteに加えて、試作中のMagicShakerも基板のまま展示。今回も二日間、ずっと笛を吹いておりました。
MagicShakerはそこそこウケが良かったと思います。次回は何とか筐体を作って持っていきます。


今回は、土曜の17:30からMagicFluteのライブをさせてもらいました。
曲目は「大きな古時計」「ロンドンデリーの歌」「ふるさと」の3曲。(昨年のHMM用に作ったカラオケを使用)
会場全体にMagicFluteの音が響き渡ったと思います。こういう機会があれば、これからもどんどん出て行こうと思います。(今のところ写真とは無し)

私は自分のブースに張り付いていたので、ほとんど他のものは見れませんでしたが、いくつか見た中で面白かったものを紹介しておきます。
手を動かすと3Dのホログラムみたいな映像が動くという仕掛け。カッコ良かったので写真を撮っておきました。

なんとフロッピーディスクのモーターの音をMIDI音源にしてしまったというとんでもない代物。しかも8インチフロッピーなんですよ!

テルミンのような音を非接触でなく、矢印のコントローラを使って演奏する楽器。確かにテルミンっぽい音がしてました。

本物の生楽器です。廃材を使って作った打楽器やバイオリンなど。電子楽器ばかりやっていると、こういう方々が羨ましく思えます。

それから、FABLAB浜松の方々も来てました。彼らとは浜松ではない場所でばかり会ってる気がします。


懇親会では何人かの人と話をして盛り上がりました。

MFTには無い地方のMakerFaireの楽しみとは、こういった出展者同士の交流にあるような気がします。
東京以外のMakerFaireも今後も出て行きたいと思います!
(しかし、山口は一人で行ってもお金がかかります・・・)


2015年9月17日木曜日

人が格差で分断されるということ

政治や経済に詳しいわけではないけれど、マクロ的に社会を論ずることは大好きです。
これまでもいろいろと未来社会を想像してきましたが、私が考えていることは、非常に特定のシチュエーションや特定の人たちに特化していたような気がしてきました。

実際には、世界はもっとまだらに変化し、ある人たちは想像以上の変化が起き、またある人は今と大して変わらない未来が待っているのかもしれません。
いずれにしても、全ての人に同じような未来が訪れるわけではないだろう、ということです。


人々がまだらにしか変化しないということなら、それによって格差はどのようにして付いてしまうものなのでしょう。

お金を持っている家庭に生まれた子供は良い教育を受けることが出来ますが、そうでない子供は教育機会さえ持ち得ません。
結果的に、親の貧富が社会的に子供に影響を与えてしまいます。こういったことは統計的にも明らかなことのようです。

ただ、これは必ずしも受けた教育の質だけの問題ではないような気がするのです。
収入の多い人と、少ない人では、モノの考え方も違っています。それは単純に政治的信条が違うというレベルに留まりません。
場合によっては、風習や伝統といったものへの対応、行動様式、ある言説に対する反応、そういった物事に対して、大きく考え方が隔たっていることがあるように思えます。

考え方の違いは文化的な差になり、格差のある人々はついにお互いに話しても分かり合えないほど、考え方や指向性が変わってしまうことがあるのではないでしょうか。
このような状況においては、お互いが違う人たちを避けるようになり、コミュニティがどんどん分断されていきます。
日々の接触が少なくなるにつれ、考え方が分かれてしまった人たちが同じ考え方に同化することはほぼ無くなってしまい、詰まるところ暴力的な対立になるまで発展してしまうのです。
そして、このように分断された人々の収入の差は、考え方の分断と何らかの相関があるはずです。


ネットはそのような状況をますます加速させるでしょう。
人間はこれまで地域性で分断されていましたが、これからは人間性や、基本的スキル、そこから派生する考え方の相違によって人々は分断されていくでしょう。

分断された人たちからは、例えばテロを正当化するような考え方が生まれるかもしれません。それをいくら他の人たちが糾弾し、道徳的に訴えかけたとしても、そういった一派がある種の宗教性を持ち始めると、ほとんどお互い理解不能な領域に入ってきます。

日本人はそこまでお互いが対立するようなことはこれまでありませんでした。
今も安保法案で多くの人が国会議事堂前でデモを行っていますが、この平和な世相で何か不穏な事件が簡単に起きるわけでもなく、お互いが大げさな事態を想定して、空虚なもしも話をしているだけのようにも思えます。
ここで分断された人々も、おそらく何らかの格差が傾向としてあるのだと思います。

このような格差のある集団が、考え方の違いで分断される状況は社会をどのように変えていくでしょうか。
テクノロジーが人々の暮らしを豊かにするであろうことを予想する反面、このような格差をじわりじわりと生んでいるという側面はあると思われます。

同じ場所に暮らしていても分かり合えない人たちと一緒に暮らし続ける時代。それはますます私たちを精神的に疲弊させるでしょう。このような事態はいったいどのように解決されるべきなのでしょうか。なかなか結論が出せない問題です。