2015年4月29日水曜日

いまさらながらIoT

IoTという言葉はここ数年、技術関係のトピックで良く聞かれるようになりましたが、最近では私の身の回りの仕事環境でさえも良く聞くようになってきました。

そもそもIoTという言葉の前にはユビキタスとかいう言葉もあったし、言いたいことはほぼ同じなわけで、それだけ一般性が高く、確実に未来に浸透するであろう技術だと私にも思えます。
そういう意味ではクラウドと同じ。今やクラウドは当たり前。セキュリティーがー、とか言っていた人も今では無批判にクラウドを使っています。
数年もすれば、IoT当たり前な世の中になっているでしょう。


といいつつも、IoTが当たり前の世の中とは一体どんな世の中でしょう。
個別の小さなサービスでは、こうなるとは言えても、そういったサービスによる小さな改善がつもりつもったとき、社会がどれほど大きな変革を遂げるか、私には想像も付きません。

また、法律や社会システムがIT, IoTサービスについて行けず、いずれこういう問題が技術イシューではなく政治イシューになっていく可能性は大いにあります。
恐らくその折には、数学的、論理的に当たり前のことを、理屈を知らない政治家が喧々諤々と議論するというかなり間抜けなシチュエーションが生まれるかもしれません。


そもそもIoTが政治そのものに与える影響は無視できなくなるのではないでしょうか。
例えば、住民投票をするのにさえ莫大な政治活動が必要なのに、重大な政治的アンケートもかなりの母集団で短期間で簡単に出来るようになったらどうでしょう?

あるいは政治家ごとの支持率がまるで株価のように日々変化する様子を確認できるようになったり、有権者の日々の行動と彼らが支持するであろう政治家とマッチングしたり、彼らに簡単に寄付できるような仕組みができたらどうでしょう?

政治そのものでなくても、議論の間じゅうIoT的に数分レベルで何らかの情報を集める仕組みを作れば、議論が非常に効率的に済むというようなことができたら嬉しいですね。


自分の興味の対象として、音楽活動とIoTって何か考えられないでしょうか。

楽器を使うシチュエーションを考えたとき、バンドやオーケストラでアンサンブルするだけではなく、家で一人で演奏を楽しむということも多いと思います。
というか、むしろ圧倒的多数の人が、人にも聴かせず、一人で家で楽器演奏しているのではないでしょうか。

彼らは今まで一人で家で演奏してそれで終わりでした。
でも、これをIoT的に繋げてみるとどんなことが可能でしょう。
例えば、いつ頃、何時間楽器を演奏したか、といった情報を集めることを考えてみましょう。もしかしたら世界のどこかで、自分と同じ曲を練習している人がいるか探せるかもしれません。
演奏のレベルを解析すれば、サーバー側で同じレベルのもの同士をマッチングすることも可能です。実際、演奏の現場では、演奏レベルの違う人たちが一緒に活動すると悲劇が起きることが多いのです。上手いもの同士、初心者同士が結びつく仕組みは(それと知られない程度に)うまく作ってあるとお互いに幸せです。

逆に演奏レベルの違いの情報をベースに、もっと簡易な楽器のレッスン、演奏アドバイスみたいな非対称な出会いの場を提供することも考えられます。


楽器演奏だけでもいろいろ考えられるのだから、他のいろいろな活動についてもいくらでもIoTのアイデアはありますね。

そう考えると、本当にこれから10年くらい世の中の変化はかなり大きなものになるのではないかと思えます。(相変わらず、無駄に壮大な予測ですが)

2015年4月25日土曜日

未来の戦争

戦争なんて物騒な・・・と思いつつも、思考実験というか、ある種のファンタジーだと思って読んでみてください。

ここ数日首相官邸で放射性物質を装着したドローンが見つかったという事件が世間を賑やかしています。
ドローンがこれだけ流行りだしていたにも関わらず、首相官邸をアタックしたという事件があって急激に法規制を始めようという議論が巻き上がるあたりに苦笑しますが、ドローンがこのような事件に使うことができるということを国民に知らしめたという意味で、今回は確かに象徴的な事件でした。

つまりドローンを使えば誰もがテロを行えるということです。
ドローンがどれだけ産業にメリットをもたらすかを考える以上に、社会にどれだけ不安を与えるかの方が先に立ち上がってしまった気がします。
かなりの人にドローンに対するマイナスイメージがついてしまったのは確かなことでしょう。


AI、ロボット、ドローンといった昨今話題の技術は、よく考えてみたら戦争に使うことに非常に経済的合理性があるような気がしてきたのです。

戦争は基本的に人の殺し合いです。とはいえ、今の世の中、兵士の命とて大事にしなければいけません。戦闘機を作れば、コクピットは頑丈に作るでしょうし、脱出装置は必要でしょう。戦車を作っても、同様に中で操縦する人を十分守るような設計をするはずです。
つまり戦争に使う道具も人が乗る以上、そのためのコストを払う必要があります。

そう考えると兵器の無人化は、兵器の低価格化を引き起こすと思うのです。
国防費に十分にお金をかける国であれば、兵士は死なず、低価格化する兵器は大歓迎ですから、どう考えても無人兵器を作るようになるはずです。


昨今の戦争は、国家対テロリストといった、立場的に非対称な者同士が戦うことが多くなりました。
上記のような無人兵器はまず大きな国家が作るでしょうから、戦争のある時点で、テロリスト対無人兵器、という戦争が始まると思います。

しかし、相手が無人ではテロ軍団は勝ち目がありません。兵士の士気も落ちます。

兵器の低価格化は兵器市場に新規参入を招く可能性があり、そういった企業のいくつかがテロ組織に兵器を安く売るような商売を始めたらどうでしょう。
もちろんテロリストも喜んで、その無人兵器を買うに違いありません。

そうなれば、どちらかが無人兵器を使い始めたら、その流れは一気に加速し、戦争はほぼ無人兵器同士が戦うものに変わっていくような気がするのです。
そして、もはやこれは戦争というより、ゲームの世界です。


無人化した兵器が、戦争をした場合、勝者は技術力、戦術が勝った方になるでしょう。
しかし、人が現場にいなくなった戦争は、果てしなく長く続く可能性もあります。

兵士が死ななくなる戦争はもちろんいいことではありますが、そのような地域紛争が何かのはずみで暴走したらと思うと、それはそれで怖い話です。搭載しているAIがもし暴走したらとか・・・
そんなわけで、ITや技術の進歩は、戦争のあり方も根本的に変えてしまう可能性があると私には思えるのです。


2015年4月4日土曜日

AIとシンギュラリティ

AI関係の話題が多い昨今。専門家でもAIを肯定的に捉える人もいれば、否定的に捉えている人もいて、私のようなAI技術の素人には予想もつきません。

それでも、私自身の率直な感想を言えば、仮にシンギュラリティのような事象が発生して、AIが人間を凌駕してしまったとしても、それはそれで受け入れてそういう未来を見てみたいという気持ちもあります。間違っても、科学の進歩に否定的になったりAIの存在を否定したりする気持ちにはなれません。


以前、AIについて、こんなことこんなことを書きました。
これは、人々が何となく思っている人間のように振る舞うAIなんてあり得ないんじゃないか、という主張です。もちろん、今でもその気持ちには変わりないです。

恐らくAIがまず我々の生活に入り込むのは、エキスパートシステムからだと私は思います。
例えば、ラーメンを作るロボットを作って、あるラーメン職人の仕事をサンプリングし、AIに学習させたとします。どの程度の間学習させるか、ということについては私は詳しくないですが、ある時点で、AIはこの職人のラーメン作りをほぼ完全に模倣できるようになるでしょう。
学習を徹底的に進めることによって、その職人自体が持っている出力の振れ幅より(毎日の微妙な味の違いというような)、さらに振れ幅が少なく、均質な味を作り続けることが可能になることでしょう。

その人にしか作れなかった味は、その学習結果を他のロボットに転送することで、どこでも手に入れることが可能になります。
料理ロボットが家庭で一般的になれば、ラーメン職人だけでなく、世界中の有名シェフの味を家庭でも堪能することが可能になるかもしれません。


料理は非常に分かりやすい例だと思いますが、世の中には、何年もの間同じ仕事をし続けて、熟練してその人にしかできない、といった職人ワザがたくさんあると思います。
機械的にその人と同じように動けるロボットが作られ、そこにAIのエキスパートシステムが載せられれば、職人ワザそのものを量産することが可能になります。
ある場所に隠されていたエキスパートシステムが、瞬く間に世界に広がりコモディティ化してしまう、という未来があるタイミングで起きることは容易に予想できます。

AIといって人々が思い描く未来は、ほとんどの人がロボットと人間の共存といった世界だと思うのですが、実際にAIが入り込むのは、まず産業であり、ビジネスの領域だと私は思います。
すでに多くの工場では、無人化が進んでいますが、それはさらに加速するでしょうし、先程書いたような料理ロボットが可能になれば、飲食店のあり方も、様変わりするでしょう。自動運転車で流通もそのうち無人化されるでしょうし、恐らくちょっとした処方箋を書くだけの内科の医者でさえAI化は可能でしょう。
それと同時に、オフィスワークもAI化され、単純な会計、税務処理や法務関係とか、定型的な業務がAIベースのWebサービスに置き換わるかもしれません。
プログラミングでさえ、ある程度の要求仕様をインプットすれば、素晴らしい精度のコーディングが出来るようになる気がします。


AIの発展がまず私たちにもたらす社会的問題は、失業問題ではないでしょうか。
これだけ多くの仕事がAIで置き換わっていけば、多くの会社で必要ない人が増えていきます。また、新しい会社がこういう技術をうまく使いこなしていけば、使いこなせない企業が淘汰されます。いずれにしても、世の中には失業者が増えることになります。

そして、その次にやってくる問題は、あらゆることがAIのエキスパートシステムに置き換えられた結果、そのような職人技を持っている人が死に絶えた時、人間に何も習熟すべき技術が残らなくなるということです。
そもそもAIに命令するのが人間なのに、AIのやっている技術レベルに命令する側が追いつけなければ、AIを使いこなすことさえままなりません。
これは、ひたすらAIの学習方法を研究し続ける人だけしか、職業を持てなくなるような社会であり、AIへの命令さえAI化することによって、まさにシンギュラリティといった、人間不在の社会が現れることになり兼ねないのです。

しかし、今の社会は人間の欲望を満たすために作られているのであり、人間不在の社会、などという概念自体、何か自己矛盾のような気がします。
シンギュラリティ後のAIは自らに何を望むのか、そんなことまで思いを馳せてしまうのですが、これはあながち遠い未来のことでも無いのかもしれません。

微妙にダークな話になりましたが、そのようなシンギュラリティを人間が自ら回避する流れも起きるでしょう。そのときに議論されるであろう「人間とは何か」という問いこそ、私が最も興味のあるテーマでもあるのです。