巷では、ホワイトカラーエグゼンプション、いわゆる残業代ゼロ法案の是非について騒がれています。
要するに、ある程度の頭脳労働、専門スキルを必要とする労働においては、時間給という考え方は適切ではないので、労働時間に関係なく給与額を決定できるようにすべきということだと私は理解しています。
現状では年収一千万円を越えたあたりから適用というような制限で法制化するとのことですが、反対論者はいずれその適用金額が低くなっていくことを懸念しています。
私もいずれその金額は減っていくだろうと思ってはいますが、実は私はホワイトカラーエグゼンプションに基本的には賛成です。
ブラック企業を合法化しかねない要素があるのは確かなことなのですが、この影響は近視眼的に見るだけでなく、もっと働く人のインセンティブ構造にどのように働きかけるかということを複合的に見る必要があると思うからです。
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ITの発達により、これからも世の中はどんどん効率化していくのは確かです。恐らく、残業代ゼロ制度もそういう視点とセットで考える必要があるのではないかと思います。
私の考えを端的に言えば、安い賃金で人間を長時間労働させても良いインプットは出ず、結局そのような働かせ方をする企業はリソース配分の仕方が効率的でないため、競争に敗れてしまうでしょう。
なので、短期的にブラック労働が増えたとしても、いずれ淘汰されるため、結果的にブラックな労働環境はむしろ減っていくのではないかと思います。
もちろん時間給が必要な職業は永遠に無くなりません。
そこに多少のクリエイティブな要素はあるにしても、直接サービスを提供するような職種は確実に時間の制約を受けるからです。
その一方で、時間管理が適切でない職業もたくさんあります。
情報収集、調整、判断のような経営者的仕事は時間を束縛しませんし、商品開発のように比較的納期が長期間に渡るような仕事も一時間単位の労働時間管理をする必然性はありません。
そしてまさに上記のような時間管理が適切でない仕事こそ、クリエイティビティが求められており、総労働時間とクオリティが比例しないことが往々にして起こります。
そのような職場で大事なことは、いたずらに人を投入したり、長時間労働を強要することではありません。
適切な人材を適切なタイミングで集め、彼らのモチベーションを高める仕組みを用意しながら、プロジェクト全体の納期を守るためのマネージメントをすることが絶対的に必要です。
私の思うに、そのようなマネージメントは、日本では決定的に欠けていると思います。
具体的には以下のようなマネージを日本でもする必要があります。
1) プロジェクトマネージャー自身が必要な人材を面接し直接雇い入れる権限を持てる。
2) 悪平等を廃し、貢献度が高かったメンバーへの報酬を惜しまない。
3) 担当を決めたら、権限の範囲を明確にした上で、大胆に権限を移譲する。
4) タブー無しな自由闊達な議論ができる文化と、最終的な意思決定権の明確化。
5) 担当者の責任範囲を明確にし、安易に横つながりで勝手に人の仕事を助けない労働文化を作る。
と自分で書いてて、すごい難しいなあという気がしてきました。
短期的には誰かを手伝ってなんとか仕事を回したほうが一見効率的なので、どうしてもそのようになってしまうし、他人を手伝わない行為は倫理的に避難されそうです。
しかし、それでもそのような責任の明確化を行わないと、貢献度の評価が曖昧になってしまいますし、結果的にみんなでダラダラと無責任に長時間労働、という世界に戻っていくことでしょう。
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私が本当に嫌なのは、責任や権限を曖昧にしたまま、誰かが「何とかしろ」と日々怒りながら、みんなが嫌々ながら長時間働いているような環境なのです。
しかも高齢化が進んだ日本では、高齢者の雇用を守るために若者を非正規で安い賃金で雇うことが半ば常識化してしまっています。このようなことは早晩続かなくなるのは確かです。
いずれ、成長企業が効率的なマネージメントで、有望な人材を根こそぎ持っていくような事態が生まれるようになれば、他の企業も変わらざるを得なくなるでしょう。
そのような時代には、やはり労働を時間管理で行う非効率さはいずれ淘汰されるのではないかと私には思えるのです。
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