2014年8月10日日曜日

人はなぜ楽器を弾くのか

楽器を売る立場として、どのような楽器が売れるかは良く考える機会があります。
しかし、どうも私の想いは、一緒に考えようとする人たちの想いと少しずれることが多いのです。

私自身は日々楽器には触っているものの、人前で弾くような機会は無いので、必ずしもハイアマチュアとは呼べないレベルではあるのですが、それでも音楽の厳しい側面は知っているつもりです。
だから「楽器を弾く」ということに、何かひたすら楽しく、健全な印象を持っている人が多いことにやや違和感を抱くのです。


ほとんどの音楽愛好家にとって、楽器を弾いている時間は練習している時間です。
だから、楽器を練習するということはどういうことか考えれば、多くの人が望む楽器やサービスが思い付くような気がします。

しかし、どのような楽器が欲しいか、というお題でブレストすると、多くの人は一緒にアンサンブルして楽しいとか、簡単に曲が作れるとか、勝手に最適な音色が選ばれるとか、やや都合のいい意見ばかり出てきたりしてしまいます。

しかし、そもそも私たちはなぜ楽器を弾くのでしょう?
誰のために楽器を弾くのでしょう?
自分のため?他人のため?
自分の身近な人のため?会ったことも無い人のため?

確かに音楽を聴いて気持ちいいと思ったり、自分で弾いてみてさらに曲が好きになったりして、それをただ再現しようとするだけで楽しいのは確か。
ほとんどの人は、ただ自分のため、自分が気持ちいいと思う快楽のために楽器を弾いているのかもしれません。

しかし、そこに人が絡んでくると話はちょっと変わります。
新しく絡んできた人は、あなたの演奏を聴いてくれる人でしょうか?
それとも一緒に楽器を弾いてくれる人でしょうか?

いずれにしても、もう一人関わる人が増えることによって、楽器から奏でられる演奏そのものの質が何らかの意味を持ち始めます。
曲をうまく弾ければ、「スゴい!」と褒めてくれるかもしれません。しかし、そういう評価をもらうためにはそれ相応の練習が必要です。
他人とのアンサンブルをするのなら、相手に失礼にならない程度の譜読みを事前にやっておくべきでしょうし、あまりに下手だとアンサンブルの場にも微妙な空気が流れます。
逆に十分に演奏が上手い人には、練習する必要さえない場合もあるでしょう。そこには歴然とした実力の差が存在するわけです。

そうやって、自分一人の快楽で楽しんでいた楽器演奏が、他人が絡むことによって「練習」と「評価」というただの快楽で済まない要素が必ず現れます。
そこには、誰でも弾いて楽しめる、という夢のような世界はないのです。


それでも、楽器を買ってくれる多くの人は、一人で演奏して、自分の快楽のためだけに弾く人がほとんどです。
楽器を売るのなら、このような人たちの感覚を無視するわけにはいかないのですが、音楽文化は楽器を人に聴かせるための厳しい世界にいる人たちこそがドライブしていることは忘れてはいけません。

楽しい世界と人に評価される厳しい世界、両輪を理解することでより深みのある楽器が生まれてくるのではないかと思います。

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