2014年3月15日土曜日

コピペ論文、またはホンネとタテマエ

STAP細胞騒ぎは止め処もなく拡がり、ついには大学の論文のコピペ騒ぎにまで飛び火しています。
最初はとんでもないことだと思っていた私も、ネットで広まっているとあるブログを読んで実に構造的な問題だと思えてきました。

こんなことはしてはならない、などと言うのは簡単です。しかし、今研究論文を書く必要のない人がエラそうに言ったとしても何の重みもありません。
私が大学生の時代は、ネットもありませんでしたし、英語で書くことも要求されなかったし、なおかつワープロでさえ使わない場合が多かったので、コピペ自体が困難でした。今指導している人たちも私と同じような世代でしょう。

しかし、ここ20年のITの進化は、個人の倫理観を植え付けるよりも速いスピードで、思考を放棄したい気持ちを誘発させました。そして今回の問題は、そういう時代の変化に組織がついていけてない典型が垣間みえるような気がするのです。


大学の経営も厳しいらしく、生徒を指導するためのリソースが足りないのだそうです。
論文をチェックする方も、時間が足りなければ形式的な部分しか見なくなります。一文単位で細かくチェックしていると、抱えている学生分の論文が精査出来なくなるからです。
当然そういう状況で学生が書く論文はだんだんと質が落ちていきます。
後は、坂から転げ落ちるようにモラルが低下していき、指導側もなかばコピペを容認するような環境に堕ちていきます。

外部の人から見れば、他人の論文を剽窃して作られた論文で修士や博士をもらえるなどと聞けば言語道断と思えるでしょう。しかし、何年もかけてそのように堕ちてしまった環境にいると、もはや中にいる人に自浄作用を期待するのは困難です。

最近はこういう事例を聞くことが多くなったように思います。
JR北海道での点検結果の改ざんの不祥事だとか、度重なる原発作業関連の不祥事だとか、いずれも本来あってはならないことと思われる事態が、組織内で日常茶飯事的に行なわれていたという感じがします。
残念ながら、トップはそういう事実を知らなかったといい、現場の監督が責めを負わされます。場合によっては現場にいる人が責めを負わされます。
しかし、どう考えてもこういう事態は必要な人員が確保されていなかったから起こっていることであり、本来必要な人員がどのくらいなのかという点までねじ曲げられているから生じている問題です。つまり、突き詰めれば明らかにこれはマネージの問題なのです。

しかし、なぜこういう事態が簡単にマネージの問題になりにくいのでしょう。
やはり、本音と建前の乖離が大きく影響しているのではないかと思います。
無理難題を突き付けられた時、ホンネではそれを拒否したくても、受け入れざるを得ないときもあるでしょう。そのとき失われるものは仕事の質です。
それを監視しながらリソース確保するのがマネージの本来の役割ですが、コストの圧力が強ければ、マネージもまた無理難題を横流しするだけの存在に堕ちていきます。

出来ないものをきちんと出来ないと言う、そういうことを個々人がどれだけはっきり言えるか、ということが組織全体の健全性を保つためにはやはり必要なのです。


日本だけでなく、末端がトカゲの尻尾切りに合うことは良くあること。
末端にとっては踏んだり蹴ったりですが、それを耐える文化は日本では強過ぎました。

こういう事件が起こるたび、やるせない気分になりますが、逆に言えば様々な状況が可視化しやすくなったからこそ、事件が明るみに出やすくなり、結果的にはそれが浄化を促すような圧力になることを期待するしかありません。

私も含めて個人の力は弱いものですが、組織の圧力があったとしても「それおかしくないかな」と思えるくらいの倫理観が必要な世の中になってきました。


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