楽譜には、通常フォルテ、ピアノとかの文字による記号や、クレシェンド、ディミヌエンドのような図形的な記号が書かれています。
書いてある以上、もちろんこのとおりに演奏すべきなのですが、私が一般合唱団員の気持ちを察するに、二つの相反する態度を感じます。
一つは、そもそも強弱記号に対する意識の薄さ。
もう一つは、意味を考えずに盲目的に強弱記号に従うような態度です。
最初の意識の薄さは、もう意識しろとしか言いようが無いのです。しかし音程や微小なピッチ精度にこだわる人の多さに較べると、強弱記号に関してはほとんど無視してるんじゃないか、というほど気にしていないような人が少なからずいます。
確かに声楽の場合、楽器の不自由さから音域によっては大変音量制御が難しいという側面はあるでしょう。
そういう声楽的資質といった不可抗力的なものはまだしょうがないとしても、長く合唱をやっている人の中には自分が気持ち良く歌うことだけを第一にしていて、強弱記号がまるで見えていないような人も散見されます。
歳を取るほど自分を律することが難しくなるものだと自分も最近感じます。特に昔から合唱をやっていて環境に慣れきってしまった方には、ぜひ楽譜をきちんと見て、強弱記号に反応するよう努力して欲しいものです。
逆にまじめな人に多いのは、楽譜の強弱記号に盲目的に従おうという態度です。
音量というのは、そもそも非常に曖昧な指示です。
ピッチや音程というのは計測可能だし、いくらでも精度を高めていくことは物理的に可能です。テンポについても絶対値的な計測はできるし、rit. や accel. などはみんなが同じテンポを共有しないと音楽が揃いません。
ところが、音量というのは少なくとも音楽において物理量を規定することはほとんど不可能に近いパラメータです。声楽の場合、人によっても声の大きさはかなり違います。
合唱団によっては、ソプラノが多かったり、ベースが多かったり、声の大きい人がいるパートが偏っていたりするわけです。つまり、合唱曲の場合、最初から理想の音量バランスというものが再現される可能性は非常に低いのです。
だから、本来絶対値としての音量表記は不可能なのです。
音量はどうやっても相対的な指標でしかありません。この事実を感覚的に理解しているかいないかで強弱記号に対する態度も変わってくるのではないかと感じます。
書いてある強弱記号を絶対音量に単純に換算するような態度は、曲の本質に辿れないことでしょう。
つまり強弱記号こそ、なぜ作曲家がそういう指示をしたのか、という理由を読む取りそこから個別事情に敷衍していく必要性が高いのです。
このような作業がきちんと行なえる指導者の演奏には説得力が増します。このセンスの差が、団員の歌の上手い下手とは別のベクトルの、団の音楽性の高さに結びつくと思います。
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