ご存知、今世紀の作曲家ヒンデミットによるこの著作は、作曲という行為が関わる全工程に対してヒンデミット自身の考え方を述べたものです。どちらかというと、学術書ではなくて音楽愛好家に向けた内容ですが、話題はいろいろな方面にわたるため、この本を読む人たちにもそれ相応の文化的知識を要求します。ヒンデミット自身、理論家でもあり教育家でもあり、その多方面にわたる知識には脱帽というしかありません。ですから、大作曲家が素人に対して作曲とはこんなもんだよ、というのを伝えている本だと思って読んだら、かなりしんどい思いをして読まなければいけないでしょう。むしろ、ヒンデミットは音楽という題材を使いながら、社会や哲学のようなジャンルさえ視野に入れているように思えます。
そのような内容のヘビーさの他に、もう一つこの本が面白いのは、ヒンデミットが気に入らないと思っていることに対しては相当に辛辣な表現で書かれているということです。もちろん、すでに作曲家として十分なステータスを得たうえで、晩年に書かれた本ですから、これはもう誰も怖くない境地に達していたことは想像に難くありません。だからこそ、ヒンデミットが音楽に対して、作曲に対してどのような考えを持っていたか、率直なことが伝わる、生の作曲家の声が伝わる非常に興味深い本になっているのです。
とはいえ、正直なことを言えば、私自身この本の内容に100%共感するものではありません。音楽家を巡る社会的環境や、演奏家との人間関係など、実際的な面に関する記述ではかなり面白く読めるのですが、作曲家の想像の源とか、作曲家の使命みたいなもの、あるいは音楽は何を目指すものなのか、といった哲学的な考察の部分では、私の思いと相当隔たりがあります。
しかし、一般的なクラシックファンならヒンデミットのような考え方には共感する人も多いでしょう。つまり、私から見ればあまりにもドイツ的で、いわば崇高な物に対するあくなき希求に貫かれているのです。もちろん、ヒンデミットの知性からすれば、作曲に神懸り的な霊感などを認めたりしていませんし、権威主義的に過去の大作曲家を必要以上に持ち上げたりしていません。しかし、音楽に対して「道徳的、倫理的」という表現で相対し、また過度な美しさ、甘美さに陥ることを厳しく警告するなど、音楽の享楽的性格だけが前面に出ることに厳しく警告しています。そして、チャイコフスキーやドヴォルザークを、その理由で批判さえしています。
一歩下がってフフンといっているような諧謔的傾向を持ったフランス音楽が好きな私としては、こういった内容では、やはりフフンなどと思ってしまいます。ヒンデミットにとっては、多分同時代に生きたプーランクなど、批判の対象でしかなかったことでしょう。逆にフランス人もこういったヒンデミットの態度にはどこか鼻で笑ってしまうような態度を取っていたかもしれません。
もちろんどちらの態度がよいか、という問題ではなく、それぞれが考える享楽的なものの意味とか知性への対し方の違いが出ているだけと取るべきでしょう。
さて、それはさておいても、この本は面白いことが結構書いてあります。
上のようなことを言うと、ヒンデミットがかなり現代音楽に近い創作家だったように感じる人もいると思いますが、むしろヒンデミットは和声や旋律の力を信じ、それでいてあくまでそれらは技術的な問題と割り切って創作家の大きな目標とは切り離して考えようとしています。したがって、作曲技法そのものが作曲行為のモチベーションとつながっている現代音楽については、相当な批判を展開しています。ことに12音音楽に対する批判は、私にとっても我が意を得たり、といった感じでした。後半では、こういった現代音楽の潮流がまるで教祖をおがむ新興宗教の様相を呈しているとも言っています(もちろん、教祖様はシェーンベルグでしょう)。特に演奏家と作曲家が分業した結果、このような音楽が多くの人を惑わしていることを嘆き、作曲家自身が演奏できる音楽家であるべきと説いています(ヒンデミットは若い頃有能な演奏家でもあった)。
また、現代における必要以上の指揮者賛美についてもかなり辛辣な表現で書かれています。つまり、今の民主的な世の中で独裁者はゆるされず、指揮者とは聴衆が高いお金を払って自分自身の独裁的傾向を投影し満足するためにある存在なのだ、とのこと。クラシック音楽にありがちな指揮者礼賛、そして意味のない言葉が並べられたその音楽への賛辞に対して、なんとなくいやーな感じを持っている私にとって、ちょっぴり小気味良く感じたところでもありました。
また全体にわたって、合唱、特に小人数のアンサンブルに対して非常に好意的です。人の声が、すべての音楽の元であり、その音楽を極めることがアンサンブルの中にあるのなら、音楽の理想の形態は声楽アンサンブルということになるでしょう。そして、作曲家も社会的な成功が十分に得られないうちは、素人向けのアンサンブル音楽をもっと書くべきだ、と諭しています。それこそが、今の商業主義に毒された音楽業界を健全にする方法だと言うのです。これはヒンデミットが精一杯考えた現実との折り合いの方法なのでしょう。
ところで、この本は1952年に書かれています。ほぼ50年前ですが、意外と現代の音楽の様相を見比べてもその内容が古めかしい感じがしなかったのは、やはりヒンデミットの眼が鋭い部分をついているからでしょうか。そのヒンデミットが、今の状況を見たらもちろんもっと哀しんでいるには違いないのですが、意外と現在あるさまざまな潮流を冷静に判断した上で、クラシックの枠をさえ飛び越して新しい音楽を目指すのかもしれません。