2020年7月26日日曜日

コロナが明らかにする日本の闇-その3

7月にはすっかり収束して、あんなこともあったねとか言ってるだろうと予想していたが、全然そんなことなかった。自分の想像力の無さに愕然とする。

7月になって、明らかな第二波が起きて、浜松でもクラスターが起きて、まさかの感染者増加。この季節でこれなら、冬はもっとひどいに違いない。この騒ぎはそうなると、来年の夏くらいまでずっと続くような気がしてきた。

そうなると、本格的にヤバいのは経済。
今年の後半くらいには、恐らく続々と観光業、飲食業が廃業していくだろう。街に失業者が溢れ、治安は悪くなるだろう。そんな社会に日本が耐えられるだろうか?

なにやらとてつもなく恐ろしい状況が産まれようとしている。
もう経済のために、感染を恐れず普段の生活をしよう、という気持ちは世界から消えた。私はいまだに、世界は騒ぎすぎだという感覚があるけれど、もう有無をいわさぬほどコロナを防ぐための暗黙の圧力が世界を覆っている。
それは決して間違いではないから、結局コロナから身を守るために、世界経済は凄まじく悪化していくだろう。


それは、どんな世の中に変わるきっかけになるのか?
またも無駄に大きな表現すると、貨幣経済の終焉ではないかと思う。
もちろん、貨幣は簡単には無くならない。100年経っても無くならない。
ただ、貨幣でカバーできる領域がどんどん狭くなるのではという気がする。

誰もがお金が無くなるから、いらないものは買わなくなる。
最低いるものは食事と光熱費。
光熱費を払えなければ死んでしまうから、多分、光熱費はどんどん安くなったり、結果的に失業者は免除されたり、ある量以下は実質タダになるんじゃないかな。
食べ物もそう。食材は極限まで安くなって、一部はタダになり、それで食いつなぐ人たちが現れると思う。家庭菜園とかも一般的になるだろう。

その時に何らかのバリューが個人に紐付けばいい。
他人に無償で何かを提供する行為が、個人のバリューを高める。オープンソース的な仕組みが、社会全般に蔓延するかもしれない。というか、そういうふうになったらいいのに。


お金の良くない点は、それ自体が目的になりやすいということだ。
もともとは、物と物の円滑な取引の道具でしかなかったのに、富の総計を測ったり、それ自体を貸すことで儲けたりする手段が発明されることで、お金そのものが目的になるような行為が増えた。
それは、本来の人間の活動には不必要なものだったのだ。多分。

必要なものを必要なときに必要なだけ。これを実現するための社会システムこそが求められている。